神田兵(こおだひょう)右衛門(えもん)彰徳碑(しょうとくひ)

大鳥居をくぐり抜け参道を進んだところの

左側に大きな石碑が立ち並ぶ中、ひときわ

大きく聳え立つこの石碑こそが神田兵右衛

門の彰徳碑です。

兵右衛門は新川運河の開削工事、明親館ほ

か十数か所の学校設立、神戸市の初代市会

議長、神戸商業会議所の設立など、数々の

業績を残した神田翁の功績を後世に伝える

為に、兵庫南濱七ヶ町が協議し明治44年3月

に建てられました。

 

 

学校の設立

当時、多年の封建制度抑圧の下にあり、血気盛んな青年が溢れ素行の乱れを

案じた兵右衛門は

知識を啓発し、子弟を教化するの道を講ずべき也

と学校設立の計画をする。

兵右衛門は当時、県知事を努めていた伊藤博文に学校設立を申し出て、これ

を了承した県知事は、旧幕府勤番所址を学校建設の為に提供する。

この学校を名付けて『明親館』という。

その運営は多額の元金を商家に貸与し、その利息を持って校費に当てていた。

年を重ねて運営が隆盛になるにつれ、有志者を集めて元金を増やし、小学校

を十数校と卒業生の為に上級学校を設立した。

 

 

新川運河の開削工事

神戸港は古くより『兵庫津』『大輪田の泊』と称され、天然の良港として栄

えてきましたが、

毎年の秋頃になると季節風が強く吹き、湾内に入るのに大変苦労を強いられ

ておりました。

日頃よりこれを案じていた兵右衛門は

運河を開削すれば天候にかかわらず湾内に船舶が出入自由となり、

その恩恵を受けて港は更に繁栄するであろう

と今出在家町から築島にかけての運河開削の計画をしました。

兵右衛門は代表者となり兵庫県より弐萬五千円の補助と事業賛成者より弐萬

円の資金を調達し『新川社』を設立し着工しました。

しかし工事にあたっていた会社が倒産、また工事資金が底を付くなど、しば

しば工事が止められておりました。

しかし兵右衛門は巨額の私財を投資して工事を完成させました。

その額、壱拾弐萬六千円也。

 

 

初代市会議長

明治22年に神戸市制が施行され、初代

市会議長を勤める。

その間に神戸市常設委員長や水道布設

委員長として神戸市の水道布設に力を

尽くした。

また神戸商業会議所を設立し、その初

代頭取となり、神戸市の商工業の発展

に尽くされました。

神田兵右衛門ご夫妻

 

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