はじまり

和田宮のだんじりは、約300年前の江戸時代には既に曳かれていました。

岡方総会所に残された古文書の元文35月の記事に

『和田宮祭礼に付出在家町之ねり見物ニ来リ候へと

南濱御両人より昨今共使参(後略)

とあり南濱の名主から岡方の名主に対してだんじり見物を招待しているように、和田宮の春祭は南濱の一大盛儀として行われていました。

当時は船で大阪や泉大津また淡路などのだんじりが兵庫にやってきました。

そのころ『兵庫津』は大いに栄え廻船問屋が軒を連ね、だんじりを購入したり新調したりする旦那衆には事欠かなかったものと思われます。

また幕府の締付けがあったにもかかわらず、祭りは年々派手になり経済力を持った町衆によりだんじりにもお金に糸目をつけず新調・購入されていきました。

だんじりは宮大工よりも船大工の方が筋であるという考えが一般的であり、船大工町という名前が残っているように、船大工により新調されただんじりも数多くあったのではないかと考えられています。

 

 

明治になって(約100年前)

明治445月に行われた神社の記念大祭には、和田崎町三台、今出在家町、出在家町、新在家町、関屋町、船大工町、上庄通、金平町に各1台の合計十台のだんじりが出ました。

それぞれのだんじりは豪華さを競い、柱・金具・彫刻は言うに及ばず、前幕・見送り幕に至るまで、目を覆うほどのすばらしさでした。

町内にはひと月も前からだんじり囃子が鳴り響き、いやがうえでも祭り気分をかきたてていきました。

昔から和田宮のだんじりは、『あばれだんじり』として名を轟ろかせ、「とーばせ、とばせ、一の谷まで、とばせ」と呼号するや、一気に駆け出し、その速さたるや言葉では語り尽くせぬものがありました。

また一方、「返せ、戻せ、戻せ、返せ」の歓呼により、前進するだんじりを一気に後退させることも行われ、スピードスリルに溢れていました。

こうして江戸時代より昭和の初期にかけて連綿と受け続いてきた和田宮のだんじり祭りも、昭和202月と3月の空襲により金平町以外のだんじりは全て焼けてしまいました。

戦後は他の地区からだんじりを借りたこともありましたが、しだいに曳かれなくなり、だんじりがあったことを知る人も少なくなってきました。

 

 

復 活

昭和48年に子ども神輿三基が購入され渡御が復活、翌年にはだんじり囃子が境内で鳴らされるようになりました。

そして昭和52年に『和田宮だんじり保存同好会』が設立され、門真市よりだんじりを購入し解体大修理の末、昭和55年にだんじりが復活しました。

見事に修復されただんじりは祭りの中心となり、この年の祭りを大いに盛り上げました。

その後、『神戸まつり』にも参加し、市民にも再び和田宮のだんじりが知られるようになりました。

 

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