「おい、何で俺の事を知ってるんだ?」
「それは……」
「そりゃそーでしょ。あんたみたいに目立つヤツ、知らない方が不思議よ」
不意を突かれて、俺は弾かれたように声のした方を振り返った。
「…何だ、お前らか…」
「何だはないでしょ」
そこには莢と都が立っていた。俺が痛めつけた男は、いつの間にか姿を消している。
「秋人がなかなか戻ってこないから、心配して見に来てやったのに」
「そういうことです。それに、そろそろ『闇屋』も閉店ですしね」
…閉店?…ああ、そうか…。
気がつくと、時計は十二時を回ろうとしている。
「戻ってこないと思ったら、目立つヤツがまたこんなとこで目立つ事してるしー」
「目立つヤツから目立つなんて言われたくないね」
「それはこっちのセリフでしょっ」
莢の横で、都がクスクス笑っている。俺はムッとして都に詰め寄った。
「何がおかしい?!」
「いえ、別に…」
「ちょっと秋人、怖い顔しないでよ。彼女、怯えてるじゃない」
ハッと脇を振り返った。宝生 円は、呆然と立ちつくしている。
円は我に返ると、急に俺に向き直ってガバッと頭を下げた。
「あ、あの、私…。ご、ごめんなさい!」
「お、おい、お前…」
俺はギョッとした。円の大きな目が涙で潤んでいる。
…何だ? 何で俺に謝るんだ? 何で泣くんだ? 一体…。
「あーもう。これだから女の扱いが分かってないってゆーのよ、秋人は」
狼狽えている俺を見かねたように、莢が言った。
「ここらへんが都ちゃんとはえらい違いよねー」
「何で僕を引き合いに出すんですか」と都。
「まあまあ。とにかく、ここはアタシに任せて」
莢はニッコリ笑うと、円に言った。
「ちょっとあなた。宝生 円さん、だっけ?」
「はっ、はい」
「とりあえず、アタシと一緒にいらっしゃい。お家まで送ってあげる」
「はあ?!」
俺は思わず声を上げた。
…莢のヤツ、何考えてるんだ? この、わけわからん女と一緒に帰るだなんて…。
「おい、莢…」
「だってこの子、一人で帰したらまたヘンなのに絡まれそうじゃん?」
「そりゃそうだけど…お前はどうなんだよ?」
「大丈夫だって。こう見えても合気道の達人よ、アタシ」
そうだった。
莢はお嬢様教育の一環として、幼い頃から護身術の類をしっかり身につけている。
特に合気道は、そんじょそこいらの男では、到底太刀打ちできない程の腕前だ。
確かに、下手な男よりは、よっぽど莢の方が安心だろう。…が。
「ま、とにかくこの子は、アタシがちゃんと送り届けるから。じゃーね」
そう言うと莢は、円の腕を取ると、彼女を引きずるようにしてすたすたと歩き出した。
「お、おい、莢…!」
「まあまあ、女は女同士。ここは莢に任せましょう」と都。
何だろう。何なんだろう、この胸騒ぎは。
何となく落ち着かない。
「きっと莢が、ちゃんと聞き出してくれますよ?」
都がさりげなく言った。
…ああ、そうか。さっきの質問の答え、まだ聞いていなかった。
知らない女が、俺の名前を知っていた。だから落ち着かないんだ。それだけのことだ。
「そうだな…」
「そうですよ。さ、僕らも帰りましょう」
そうだ。きっと、莢が聞き出してくれる。そうすれば、きっと…。
俺は都と連れだって、下宿の方向に歩き出した。
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「あ・き・と・クーン」
翌朝。構内のカフェで茶を啜っていると、聞き慣れた声がした。
「…何だ、莢か」
「何だとはご挨拶ね。…あら、都ちゃんは?」
「今日は1限目があるんだとさ」
「なーんだ。都ちゃんにも話したかったんだけどな〜。うっふっふ」
…莢のヤツ、ニヤニヤしてやがる。こいつがこーゆーときは、ろくなことがない。
「ご機嫌斜めなの?あ・き・と・クン」
「「クン」はよせっつってんだろ、気持ち悪イ」
「あら、そんな言い方してると、教えてあげないわよ」
「何を?!」
「宝生 円ちゃんのこ・と」
俺はぎょっとした。
…宝生 円。昨夜、『闇屋』の前で、酔っぱらいに絡まれてるところを助けた女。
会う前から、俺の事を知っていた女。
「あー、やっぱり気になってたんだー」
「当たり前だ。知らない女にいきなり名前を呼ばれて、気にならない筈がない」
「あら。本当に、それだけ?」
莢はニヤニヤしながら俺の顔をのぞき込んでいる。
…いったい、何が言いたいんだ、コイツは。
「ちょっとぉ、怖い顔しないでよ〜」
「それで? どういうことだったんだ?」
「聞きたい? あのねー」
「僕にも聞かせてくださいよ」
そこへ都が、ひょっこり顔を出した。
「あれ、都ちゃん。1限目受けるんじゃなかったの?」
「受けましたよ、ちゃんと」
「まだ30分も経ってないぜ」
「今日は教授が都合で来られなくて、出席確認のみでしたから」
「最初の授業から? いい加減ねー。何の授業よ」
「哲学ですよ、安原教授の」
「ああ、あのセンセ。病弱でしょっちゅうお休みするって評判だったわ、そーいえば」
「ホントか? 俺も受けようかな」
「そうですか。じゃ一緒に受けますか? 今ならまだ履修に間に合いますよ」
「ちょっと都ちゃん! 秋人ったら都ちゃんのノートを当てにして、サボる気でいるに決まってんじゃない!」
「おや、そうだったんですか?」
「バレたか」
他愛のないやりとり。仲間同士のじゃれ合い。
中学の頃の俺だったら、考えられなかった。
今でも、いや、この先いつまで経っても、他のヤツとこんなやりとりはできない。
都と莢だけだ。俺が心を許せるのは。きっと、いつまでも。
「…ところで、何の話だったんですか?」
サラリと都が莢に尋ねる。
そうだった。さっきの話がまだだった。
「あら、何の話?」
「とぼけるなよ。さっさと言え」
「えー」
「莢、いい加減にしないと秋人がキレますよ」
「わかったわよ。あのね…」
もう一度もったいぶったように間をおいて、莢はこう言った。
「彼女、『SUDDEN DEATH』のファンなのよ」
「…『SUDDEN DEATH』の?!」
『SUDDEN DEATH』。…俺が所属するロックバンドのバンド名だ。
北城大学軽音部中、いや、県内のアマチュアバンドの中でも、人気の高い部類だろう。
大学入学後間もなく、俺と都は莢に誘われて(というより強引に引きずられて)、近くのライブハウスに足を踏み入れた。
「アタシ、いっぺんライブハウスって入ってみたかったんだ!」
「…だからって、何で俺や都まで…」
「まあまあ、いいじゃないですか、たまには」
その日はちょうど、アマチュアロックバンド達のステージだった。
ステージでは、珍妙な格好で人目を引こうとする奴らや、ただでかい音を立てればいいと思ってるやつらが、次々と下手ウマなパフォーマンスを繰り広げる。
その中に、『SUDDEN DEATH』も出演していた。
『SUDDEN DEATH』は、それまでのバンドに比べたらずば抜けてうまかった。
特にギターがすごい。素人耳にも、こいつはプロ級だ、と思った。だが、歌は…。
「歌がなけりゃ、もっといいのにな…」
思ったことが、つい口をついて出た。…と。
「おい、そこのお前。言ってくれるじゃないか」
顔を上げると、さっき歌っていたベーシストが、舞台から俺をにらんでいる。
「聴かせる歌を歌わないからさ」
「何だと?!」
「まあ待てよ、卓」
つかみかかろうとするベーシストを、ギターの男が止める。
「何で止めんだよ、悠」
「いいから。…おい、お前。どういうつもりだ?」
「別に。思った事を言ったまでだ」
「ちょっと、秋人ったら…」
「莢だってそう思ったろ? あの程度なら、俺だって歌えるぜ」
「「何だと!?」」
「まあまあ」
俺の言葉にいきり立つメンバー達をなだめながら、ギターの男はこう言った。
「よし。じゃあお前、歌ってみろよ。ステージで」
「はあ?」
一瞬俺は唖然とし、次の瞬間笑いだした。
「馬鹿馬鹿しい。何で俺が歌わなきゃならないんだ?」
「さっき言ったろ。あの程度なら俺でも歌える、って」
「「そうだそうだ。歌え、歌え!」」
バンドのメンバーが、声を揃えて言う。客席の奴らも、「歌え!歌え!」と煽り立てる。
わけが分からないうちに、俺はステージに引っ張り上げられ、マイクを握らされた。
その時何を歌ったかなんて覚えていない。ギターの音に負けじと、やたらと声を張り上げていたような気がする。ただライトがやけにまぶしくて、熱かった。
歌い終わると一瞬の沈黙の後、割れんばかりの拍手と歓声が俺を包んだ。
ステージで歌って喝采を浴びる。それは、鳥肌が立つほどの快感だった。
「…なかなかやるじゃないか」
ベーシストが、ブスッとした顔で言った。ギターの男が俺に尋ねる。
「お前、どこの大学だ?」
「北城大学に通い始めたところだ」
「そいつはいい。俺達のとこで歌わないか? ちょうどボーカル探してたんだ」
こうして俺は、『SUDDEN DEATH』の一員となったわけだが…。
…あの女が、俺達のファン?
俺は正直驚いた。
バンドに入ってから、俺を追いかけ回す頭の軽い女が増えた事は知っている。
俺はそういう女達に、これっぽっちも興味がなかったし、これからも興味を持つ事はないだろうが、そいつらがどんな奴らかはよく知っている。
俺達の気を引こうと、派手な服や露出度の高い服を着たり、濃い化粧をしたり。
しつこくて、うざったくて、ただキャーキャー騒ぐだけが能で。
バンドのメンバーであればおそらく誰とでも、簡単に寝る女達。
だが、あの女は…。
「意外ですねえ…。彼女、『SUDDEN DEATH』を追いかけるようなタイプには見えませんでしたが…」
都が俺の気持ちを代弁するように言う。
そうだ。追っかけどころか、ライブハウスにさえ出入りしそうにないのに…。
すると莢は、ううん、と首を横に振った。
「追っかけなのはあの娘の友達のお姉さんよ。何でもギターの悠さんの、バンド結成時からの熱狂的ファンらしいわ。それで、去年の学園祭のライブを見たんだって」
「学園祭?」
なるほど。確かに、学園祭ならありそうな話だ。しかし…。
「でも、去年は彼女、高校3年でしょう? 受験生なのに、11月の学園祭に来たんですか?」
「何でもね、ちょっと前に推薦入試の日に体調崩して失敗して、悩んでたところだったんですって。それで、受験の下見も兼ねて気分転換にって、友達とそのお姉さんに誘われて、見に来たらしいわ」
「ああ。そこで歌ってる秋人を見たわけですね…」
「そう。その時お姉さんから、メンバー構成やら何やら、いろいろ教わったんだって。受験勉強も、ダビングしてもらったライブのテープを聴いて乗り切った、って言ってた。だから北城大学に受かったときは、有頂天だったそうよ。これであの『SUDDEN DEATH』のメンバーに会える、同じ大学に通える、ってね」
そういうことか…納得。
しかし、それでもやはり疑問は残る。
「…だけど何だって昨夜、俺に謝ったりしたんだ?」
「それはね…」
ニマニマして莢が身を乗り出す。と、突然、都がクスクス笑いだした。
「何だよ、都」
「すみません。おかしくて、つい…」
「どういう意味だよ?」
「…つまり彼女、『闇屋』でやるって聞いたから、飲み会に来てしまったんでしょう?」
「はあ?」
「あそこなら秋人の顔が見られるかもしれないと思って、ね」
「…何だって?」
「都ちゃんってば、鋭いわね〜」
感心したように莢が言う。俺は唖然とした。…何だって?
「いや、普通わかりますよ」と都。
「そうよね〜。わかんないのは、誰かさんくらいよね〜」と莢。
「…お前ら…」
他人をネタにするのもいい加減にしろ。そう言おうとしたが、なぜか言葉が出てこない。
…俺に会おうとして、『闇屋』に来た? あの女が?
「そうなのよ。あの娘はコンパなんて行く気はなかった。だけど、会場が『闇屋』と聞いて、気が変わったのよ。あそこは秋人の行きつけの店だって、聞いてたから」
「それでも、まさか本当に会えるとは思ってもみなかったでしょう…」
「ところが本当に、秋人が現れた」
「憧れのボーカリストが、同じ店にいる。それだけでドキドキしていたんでしょうね」
「ずっとカウンターばかり見て、コンパなんてそっちのけだったらしいわ」
「それで、なかなか帰らない秋人を見ているうちに、自分も帰り損ねてしまったんですね」
「そう。気づけば一緒に来た女の子達は、とっくにいなくなっているし…」
「おまけに、帰らずにいたのを、残っている男目当てと誤解されて、絡まれることになってしまった。…そんなところでしょう」
「すごーい、都ちゃん!」
「当たりましたか?」
「大正解よ! すごいわ、さっすが心理学科ね!」
「それほどでもないですよ」
俺は呆気にとられた。
何だ。何なんだ、こいつら。
二人だけで勝手に話を進めやがって。
「遠くからでも見ていたい…。いじらしいファン心理じゃないですか。ねえ、秋人?」
都が俺の方に、ニッコリと向き直る。
ファン心理。…そうか。なるほど。
「そういうことか…」
俺はつぶやいた。都の絵解きで、ようやく謎が解けた。
納得しながらも、俺はどうにも不思議な気分だった。
「あら、面白くなさそうね、秋人」
「別に。…何でもねえよ」
おかしい。どうもスッキリしない。何なんだろう、この気分は。
俺が黙り込んでいると、不意に莢が尋ねた。
「ねえ秋人。次のライブ、いつ?」
「来週末だけど…」
「チケット、余分があったら頂戴」
「言われなくても、いつもちゃんととってやってるだろ」
「ううん、アタシ達の分じゃなくて、円ちゃんの分」
「何で、俺が知らない女の分まで…」
「もう知らない仲じゃないでしょ」
「冗談じゃない」
俺は憮然とした。
「昨日偶然出くわしただけだ。女ならすぐ「知ってる仲」になる都と一緒にするな」
「…人聞きが悪いですね」
都は、つき合う女がしょっちゅう変わる。
よく知りもしない女から、いきなり「つき合ってください」と言われても、断らない。つき合っている女がいても、いなくても、だ。
本人曰く「断ったら女の子に恥をかかせるでしょう」だと。
…二股かけられる方が、よっぽど恥だろうに。
「とにかく俺は嫌だからな」
「まあまあ、そう言わずに。一枚ぐらいいいでしょう?」
都まで…。こいつら、一体どういうつもりだ?
…と、そこへチャイムが鳴り響いた。
「あ、1限終わったみたい。移動しなくちゃ」
「莢は2限は何だ?」
「フランス文学概論。あーあ、ユーウツだなあ〜」
「お前の専門だろーが」
「うん。でもあのセンセ、どーも苦手なのよね〜。なーんかナヨっとして、カマっぽいんだもん。秋人は?」
「情報工学」
「いいなあ、情報室かあ。ネットし放題よねっ」
「莢じゃあるまいし、そんなことしないよ」
「何よ、それ。…都ちゃんは?」
「僕は3限まで空きですから、図書館にでも行ってますよ」
「そう。じゃ、またお昼にね」
俺達が立ち上がろうとしたその時、不意に俺の名前を呼ぶ声がした。
To be continued…