詩心の表現
「富士山」の転句「雪はーーー」の部分を例にあげます。


詩心の表現ということで、一般的によく聞かれるのは、「言葉を鮮明に、気持ちを込めて発音すること」という注意です。
このこと自体には問題はないのですが、
それに対して、母音で節を回す部分については、詩心に関してあまり言われないように思います。
確かに、「アーーーー」という音の連続には意味がありません。
それで、この部分は、いわゆる「声の聴かせどころ」「腕前の見せどころ」と認識している人が多いように思われます。
しかし、このような認識、吟じ方は、音楽的には誤っていると言わねばなりません。
実際に、優れた吟詠を注意深く聴きますと、そうなっていないことが分ります。
「ゆきは」という語音の部分(前部)と母音「ア−−−−−」の部分(後部)とを比較すると、次ぎのようになります。
所用タイム 旋律的要素 リズム的要素
(前部)ゆきは 短い 単純 単純
(後部)アーーーーー 長い 複雑 複雑
条件的に、前部と後部のどちらが、より多く、より深く表現できるかは、一目瞭然でしょう。
詩心を音楽的に豊かに表現し得る部分は、むしろ後部なのです。
正確に言えば、全体でひとつの表現フレーズであり、言語による表現を、発展させ深める部分が母音部(後部)なのです。
言葉なら「雪は」で終わってしまうところを、歌うことによって「雪はーーーーー」と、より長く、より複雑に表現でる・・・だからこそ、歌われる言葉は、語られる言葉よりも多くのことを伝えることができるのです。
先天的に優れた吟者は、このことをよく知っていて、それを十ニ分に活用しています。(活用しているというよりは、無意識にそうしていると言うべきでしょう。)
優れた吟詠は、むしろ母音部分において、表現的な感動を与えてくれます。言葉を発する時よりも、発した後の母音部分の表現の方が実は重要なのです。


言葉を表現した気持ちが、そのまま保たれて(むしろ広がり高められて)母音の節へと入って行きます。そして言葉で表現し切れなかったものが、その節の中で表現され、次ぎの言葉へ繋がって行きます。
それ故、優れた吟は、始めから終わりまで、気持ちが途切れることなく、連なる波のように展開して行くのです。


「母音だけで何が表現できるというのか」と思われるかも知れません。しかし、ヴァイオリンやフルート・・・言葉を持たない楽器でさえも心を表現できることを思えば、人間の母音で表現できないわけがありません。
少数の優れた吟詠家の吟じ方を分析してしまうことは、何か企業秘密を公表してしまうことのようですが、これは音楽の基本的な原理であり、人間にとっては本来本能的に出来ることと言ってもいいと思います。
先ずは吟詠を聴く耳を変えてやることが大切です。
皆さん、カラオケで演歌などを歌われる際には、多分自然にそういう歌い方をして居られると思います。
「演歌を歌うと、生き生きと表現力があるのに、どうしてそれが吟詠に出てこないのか?」と、茶化されることがあるでしょう。
吟詠になると、感情の入れ方が前後逆になってしまう・・・そういうことなのです。