声帯と声の関係
声の源
声帯への関心
身体に覚えさせる 一部更訂
知識は練習の役に立つか 一部更訂
声帯(声唇と声帯靭帯)
声帯の振動
声帯を伸ばす喉頭の働き
交差筋の驚異
新たな振動体
高さのコントロール
裏声の重要性

声の源
(1)声帯で発生した音は、(2)共鳴腔での共鳴、(3)口内での音色の変化(語音)という加工を経て最終的な歌声となり拡散されます。
(2)(3)でいくら良い音にしようと努力しても、(1)が悪いとどうしようもありません。
発声の練習は、まず(1)声帯、次ぎに(2)共鳴、最後に(3)語音・・・当たり前の話ですが、これが優先順序のはずです。
この順序が入れ替わると本末が転倒した練習になります。
理屈は明白ですが、現実にはどうでしょうか。
声帯は喉の奥にあり、体感的にも実態のつかみ難い器官です。それゆえ、往々にして、(2)(3)の練習で発声を改善しようとしてしまい勝ちです。しかしこのような練習は、まずいところをとりあえず目立たなくしようとする応急処置にしかならないでしょう。


世の中にはたくさんの発声指導書や助言書が出来ています。
それらの多くは、姿勢、呼吸、共鳴、発音、体操、喉に良い食べ物、気分、観念、etc.・・・発声に関する様々な事柄が詳しく書かれていますが、肝心の声帯に関してはほとんど触れられていません。
書かれている場合でも通り一遍の内容で終わってしまいます。
「あやふやなことを書いてはいけない」との著者の良心からなのかも知れませんが、それにしても省略し過ぎです。さらっと流されると、「声帯に関することは大して重要でない」かのような誤解を招き兼ねません。


声帯への関心
人間の声帯は、奇跡といえるほど驚異的な器官です。
声帯についての一般的な認識は、
「喉にある一対の粘膜のヒダで、それを閉じて息の力で振動させる」
・・・程度のものだと思います。
私自信も昔はそんな認識しかなく、一流の歌手の声を聴く時、「どうしてあんな声が出るのだろう、あんな風に歌えるのだろう」・・・魔法のように感じたものです。
僅か2センチほどの小さなヒダが、2オクターブ以上の音域を悠々と奏でることができる・・・楽器では考えられない能力です。
ところが、フースラーの書に出会い、声帯の仕組みを知る内に、不思議ではなく、驚きを伴った納得に変わって行きました。


フレデリック・フースラー(1889〜1969)の研究著書「うたうこと」の原書が出版されたのは1965年でした。フースラーの研究はそれまで誰も為し遂げられなかった偉業で、世界的な反響を呼び、声楽界に大きな影響を与えました。
19世紀から20世紀にかけての声楽界は、非自然的な発声法がもてはやされた混迷の時代といわれます。
そのような悶々とした靄を晴らす可能性を示してくれたのがフースラーの研究だったのです。
出版と同時に声楽家や指導者が群がり買い求めたそうです。


原書が出版された当時、私は中学を卒業した頃で、そんな研究の存在すら知りませんでした。それから20年ほど後、日本語翻訳本が出版されました。
私は偶然書店で見つけ、「よくある発声書のひとつ?」くらいの気持ちで購入したのが出会いでした。
身体に覚えさせる
「身体に覚えさせる」・・・
声帯の驚くべき構造と機能を理解する前に、昔からいわれるこの事柄について考えておきたいと思います。


舞ならば振りや手順、吟詠なら節回しや詩文を、繰り返し練習することで身体にたたき込む・・・それもまた身体に覚えさせるということに関係するでしょうが、そのことではありません。


この課題に関しては、目に見えない音よりも、目に見える舞の方が理解しやすいと思います。
舞においてはしばしば鏡の前で練習します。
この練習は、自分自信の「動きの体感」と、現実の姿(第三者にどのように見えるか)とを関連付ける練習になります。
この練習によって、「こう動くと、こう見える」、逆に「このように見えるには、このように動けばよい」・・・というようなことが解ってくるのです。
これが舞でいうところの「身体に覚えさせる」ということです。


では発声の場合はどうでしょうか。
残念ながら、自分の声を鏡に映しながら練習するようなことは不可能です。
自分の声は自分の耳に聴こえますが、自分の耳には、空気を伝わってくる声と、身体内を伝わってくる声が混ざって響いてきます。
発声の練習で難しいのはここです。
テープに録音して聴き直す方法も考えられますが、かなり性能の良い機材を使わないと正しい判断ができません。


もちろん基本的には指導を受けるわけですが、毎日ベッタリついて教えてもらうわけにも行かないでしょう。
レッスンでアドバイスされたことを自分自信で練習しなければ、発声を身体に覚えさせることはできないと思います。


たとえば、「1本(a1)」の高さを発声する際には、
自分の声帯を毎秒440回の振動を起こす状態に準備して声を出す・・・こんな高度な作業を声帯にやらせているわけですが、普通に歌える人なら何でもないことです。ほとんど無意識で歌えます。
この難しい作業をいとも容易くやってのけるのは思考ではなく体感です。
もし体感覚が失われたなら、まともに歌えなくなるでしょう。
ステージで完全に上がってしまって、いつも出来ていることが、その通り出来なくなって失敗することがありますが、それは気分の極度の緊張が体感を狂わせてしまうからです。


体感覚は、実践においては思考よりも正確で俊敏で頼りになる能力です。
このすばらしい体感の能力は、誰もが生まれながらに持っている本能的能力には違いないのですが、磨かなければその凄さは発揮されません。


たとえば、舞の初心者は「この時の腕の角度はこうですよ」と教えてもらっても、次ぎに舞う時には角度が違っているでしょう。三度目は、また違う角度になるでしょう。
ところが上達すると、習うと即座にその角度を身体が覚えてしまえるようになります。腕の角度だけはなく手や指先の使い方まで一瞬の内に覚えてしまいます。


体感とは自分の筋肉の動きを探知するレーダーのようなものです。
つまりこのレーダーの性能を高めることが体感を磨くということなのです。


知識は練習の役に立つか
では、体感というレーダーの性能を高めるには、実際にどのような訓練をすればよいでしょうか。
昔から言われることは「師の芸を盗む」、つまり指導者の舞い方、歌い方、吟じ方を真似る中で、指導者の筋肉の使い方を悟り、それを自分のものにして行く・・・という方法です。
もちろん指導者だけではなく、優れた人の芸からも学び取る・・・こういうのが従来の方法でしょう。


舞の場合には、体内の筋肉の動きは姿形となって表れますので、指導者や優れた人の舞の外見を真似ることによって、次第に体内の筋肉の使い方を悟って行くことができます。
この方法を発声に置き換えますと、
指導者や優れた人の声を真似る(声帯模写ではありません)ことによって、次第に発声器官の筋肉の使い方を悟って行く・・・という方法になります。


余談
声帯模写は声の特徴や癖を真似るものですが、ここでいう声を真似るのはそれとはまったく違います。発声の仕方を真似るという意味です。
したがって、舞においても、歌においても、当然師に似てくるわけですが、模写とは違った似方になるはずです。
更に言えば、伝統的な分野では結果的にその分野の者の発声は皆似てきます。
たとえばオペラ歌手は皆オペラ歌手の声をしています。能楽の声も同じです。民謡も、琵琶も、吟詠の声にも同じことが言えます。




もちろん、この方法が今も昔も体感覚の訓練法の基本であることに変わりはありません。
ただ、方法は理解できても、実行することは容易なことではないでしょう。
いわゆる「勘のいい人」はどんどん盗んで行けるようになるのですが、多くの人は「何を盗すむべきか」が分りません。その結果、盗まなくてもよいものを盗み、肝心なものは盗めない・・・ということになって上達が遅れるのです。


もし、盗むべきものが分っていたら、こういう失敗をせず、「勘のいい人」と同じように進んで行けるでしょう。
フースラーの発声器官の解明は、「盗むべきもの」を発声を学ぶすべての人に明示してくれたと言えるでしょう。


それまで知らなかった、気が付かなかった発声器官の筋肉の存在、性質、働きを知り、その筋肉を意識的していると、その筋肉の存在や動きを感じられるようになります。
意識していない場合、その筋肉が働いていなくても、あるいは不自然に働いていても、そのことにはまったく気付きません。
知ることによって、それまでは大まかな体感で発声していたものが、次第に詳細で具体的な体感をもって発声練習できるようになって行きます。
体感覚が細やかになれば、聴覚も自ずから細やかになって行くものです。
それまで何となく聴いていた指導者や優れた人の声から発声器官の様々な筋肉の動きを聴き取ろうとし始めます。そして自分でもやってみよとします。
つまり、この段階において「盗むべきもの」が具体的に認識できたのです。
そうなれば、しめたものです。発声練習に明確な課題を持てるようになり、やがて、声の中のひとつひとつの要素と連結している発声器官の筋肉を、自分の意志で動かせるようになって行くでしょう。


声帯(声唇と声帯靭帯)
      声帯断面を背後から見た略画
上の絵は声帯の断面を背後から見た略画です。
黄色で塗りつぶした部分が「声唇」と呼ばれる筋肉組織です。


オレンジ色の線は「声唇を被っている弾性の薄い膜組織」です。
オレンジの太い線の部分の膜組織は、呼気を効率良く声門に送る役目を果たします。
膜組織の声門付近(左右の声帯が合わさる部分)は「声帯靭帯」と呼ばれ、この部分が振動体になります。
膜組織は声唇に密着しているのではなく、膜と声唇は別の組織になっています。


声唇
声唇は随意筋で、意志で働かせることができます。
誰でも、声帯を合わせたり(声門を閉じる)、ギューと収縮させたりできるはずです。


声帯を被う幕と声帯靭帯
声唇を被う膜は声唇のように自力では動けません。
声唇の表面をすべる皮膚のような組織です。
しかし声帯を納めている喉頭という軟骨の枠の操作によって、ゴムの両端を引っ張っるように伸ばすことができます。(喉頭の操作は喉頭を前後上下から支えている筋肉によって為されます。)
たとえば、「フア〜」とあくびをする時には、喉頭の前部が引き下げ筋によって下に引っ張られ、その結果、膜が伸ばされた状態になります。


声帯の振動
閉じられた声帯が息の力で振動して音を出すと言いましても、実際には下の絵のように、声帯靭帯が下から上へと波のように動くことによって、声門の上方に空気の密・疎を発生させます。
そして声唇が声帯靭帯の寄せ具合をコントロールしたり、合わされる部分の形状を変化させることによって、声帯靭帯部分に様々な振動が発生します。
異なる性質・働きをもつ声唇と膜が協力し合って歌声は生まれるのです。

       声帯の振動部分の略画


声唇が振動に及ぼす影響
声門(声帯靭帯)の振動の状態は、膜の裏側に接している声唇の状態に影響されるはずです。
声唇の影響はたとえば音質に表れるでしょう。
声唇が柔らかな状態なら柔らかな音質になり、硬い状態なら硬い音質なる・・・というようにです。声帯をこわばらせると、こわばった声になるのもそういう理屈だと思います。
また、声唇の厚さによっても変わるでしょうし、声門の閉じ加減、寄り合う圧力、僅かな形状の違いなど、様々な声唇の要素が複雑に関係してくるはずです。
したがって、声門を強く閉じるとこんな声になる・・・など、単純には言い切れないのです。

声帯靭帯を伸ばす喉頭の働き
声帯靭帯がたるんでいると、きれいな(安定した)振動は起こりません。安定した振動を得るには、声帯靭帯にある程度以上の張りを持たせる必要があります。
声帯靭帯自体を動かすことはできませんが、ゴムを両端から引っ張るような運動で伸展させることができます。
引っ張る運動を担うのは、声帯を支えている「喉頭」という軟骨の枠、更に厳密に言えば、その軟骨の枠を支えているいつくかの筋肉です。

それらの筋の働きに応じて喉頭が上下したり前後に傾いたりし、声帯に変化を与える仕組みになっています。この機構を上手く使えるかどうかが発声の一つの鍵です。
喉頭を左横から見た略画
喉頭は、輪状軟骨、甲状軟骨、1対の披裂軟骨から成ります。
輪状軟骨の後上部と甲状軟骨の後下部が連結し、そこを支点にお互いに動ける構造になっています。
輪状軟骨の前部と甲状軟骨の前下部は輪状甲状筋と呼ばれる筋肉で繋がれています。
この輪状甲状筋が働くことによって、甲状軟骨が前に傾き、その結果、内部の声帯が伸ばされる仕組みになっています。

喉頭を上から見た略画
あくびの出る手前には、輪状甲状筋が働いて喉頭前部が下がった状態になります。それで、しばしば発声の基本フォームとしてあくびの形が引用されるのです。
発声で喉が上がると声が出難くなるのは、声帯が伸びず、声帯靭帯がたるんた状態になるからです。声帯がたるんだまま、頑張って声を出そうとすると、声唇に更に力を入れて声門をきつく閉じることで振動を起こす手段を取らなければならなくなります。
これがいわゆる「喉をしめた悪い発声」です。

声帯を伸ばすのに関係する筋肉は他にもあります。
喉頭の後部を後ろ上へ引き上げる筋肉や、後ろへ引く筋肉を参加させると、最大の伸展が得られます。




声帯は甲状軟骨の内側に前後に並んで付いています。
声帯の後部は小さな披裂軟骨に接着しています。左右の披裂軟骨は横披裂筋(横筋)で結ばれていて閉じたり開いたりできるようになっています。
普通に息をする時には声帯の後部は開いた状態(V字)になっています。
声門を閉じる際には、まず側筋が働きます。ただし、このの筋だけでは閉鎖は不完全な状態です。(ささやき声はこの状態です)
更に、横筋が働くと閉鎖は完全になります。
喉頭内の声帯を上から見た略画


交差筋の驚異
声唇を形成している随意筋は1本の筋肉ではありません。
斜めに交差して声帯靭帯の縁辺にまで達しているいつくかの筋によって形成されています。
そして、それぞれの筋は単独にも一緒にも働かせることができます。
また、同じ筋内でも部分的に働かせることもできます。
たとえばに、筋の先端(声帯靭帯の縁辺)だけを緊張させることもできます

これらの筋の複雑な働きによって、声門の形・状態をどんな風にでも変化させることができるわけです。
これこそが歌声の秘密だったのです。
声帯筋の略画


声帯靭帯部分にできる新たな振動体
側筋、横筋で声門はほぼ完全に閉鎖されるのですが、声帯を強く伸ばすと、必然的に声門の中央に僅かな隙間が生じます。(いわゆる頭声はこの状態です。)
声門に隙間が生じると、声が暗めになり、前には響き難くなります。


声唇の交差筋の働きによって、その隙間は完璧に閉じることができます。
しかし交差筋が思うように働いてくれないと、この隙間を閉じる為に(声を前に出そうとして)、側筋や横筋にその仕事をさせようと一層力を込めてしまうでしょう。本人は声唇を緊張させたつもりなのですが、実際には関係のない筋肉を過度に使ってしまうのです。これも喉に不要な力の入った悪い発声です。



交差筋の先端は声帯靭帯にまで達しています。
交差筋の先端部分(声帯靭帯付近)だけを鋭く緊張させると、そこに強靭で細長い「新たな振動体」ができます。この新たな振動体が胸声の上限を越えた良く響く高音を生み出します。
声帯筋の略画


高さのコントロール
交差筋は、音高にも深く関わっています。
交差筋の先端は、声帯の声門部分をいくつかの均等な長さに分割しており、交差筋の働きで振動が起きる長さを変えることができるのです。
交差筋の図

もちろん、音高のコントロールは交差筋の働きだけではなく、他の様々な筋肉の働きの協力でによって、複雑でスピーディな音高変化も為し得るようになります。


フースラーまでは、音高は声帯の緊張度に関係すると考えられており、その誤った認識から、必要以上に声帯を緊張させる発声が教えられたりしました。


裏声の重要性
声唇の力を抜いた状態で、声帯を伸展させて発声すると、声帯靭帯に声唇の影響をほとんど受けない振動が得られます。
いわゆる裏声です。
       裏声を出す時の声帯の状態
声唇が参加していない声は芯がなく捉えどころのない響きです。
存在感の薄い裏声は音楽で活躍できる声とは言えません。それ故、従来の発声法では重視されませんでした。
しかし、
裏声を作る声帯靭帯の伸展筋(喉頭を動かす筋)と、声唇の交差筋の協力によって、歌声が生み出されるという事実がフースラーの研究によって明らかになり、裏声の練習の重要性が認識されました。