| 歌舞としての吟剣詩舞 |
古代、舞と音楽は同じ意味を持ち、一体のものであったというのが通説です。
たとえば日本の各地にはいろいろな「かぐら」が伝わっていますが、「かぐら」とは舞と音楽(歌や伴奏)を合わせた呼び名です。
また、「メヌエット」「マズル(マズルカ)」などもにも同じことがいえますし、フラメンコの一体性も有名です。
やがて、伴奏や歌は独立して音楽分野が成立することになります。
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民族芸能は、自然発生した芸能です。
人間の本能的な感性によって自然に誕生し形成された民族文化の一つに「歌舞(うたまい)」があります。
古代において、言葉・歌・音楽・舞のいずれが先に誕生したかは今もって不明ですが、
古代人にとって「歌舞」がひとつの行為であったという説には信憑性があります。
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歌舞の一体性を示すのは、歴史的研究だけではありません。
身体の働かせ方、気の入れ方、間の取り方など、
演奏と舞は、実践の具体的なテクニックにおいて双子のように似ています。
たとえば、
バイオリンの弦に弓を強く押し当てて弾く音と、軽く触るように弾く音・・・
前者は深く気迫のこもった音色になり、後者はふわっと浮かぶような音色になります。
この二種類の音を、舞で表現するのはそう困難なことではありません。
身体の筋肉の働かせ方・気持ちの込め方を、バイオリンの奏者と同じようにすれば、舞の表情は自ずと音の表情に似るのです。
しばしば、舞のレッスンに音楽的トレーニングを取り入れたり、逆に、音楽のレッスンに舞的トレーニングを取り入れたりするのは、こういう理由からだと思われます。
音楽を理解する者は、舞をも理解し、
舞を理解する者は、音楽をも理解する・・・
人間の本能において、歌と舞は元来同時に存在するものであるからに違いありません。
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音楽芸能のすべてが舞と一体的ということではありません。
たとえば「浪花節」がそうです。浪花節に通じるものは、舞ではなく言語すなわち講談や語りです。
では吟詠はどちらかというと、言語ではなく、舞に通じるものを強く感じます。感動的な吟詠には、舞が付かなくとも舞的な美が感じられるのです。
発生当初の吟法と現代の吟法とはかなり違って来ていると言われます。発祥当時は、漢文学の延長つまり言語に通じるものであったかも知れません。
しかし、吟詠が剣詩舞と共に普及する過程で、舞に通じる新しい吟詠が誕生したと理解できます。
舞に通じる吟詠であるからこそ伴奏を欲するようになったわけです。
剣舞は武道から派生したと言われます。
当初の剣舞は音楽ではなく、武術に完璧に通じるものであったと想像できます。その剣舞が吟詠と共に普及する中で、音楽に通じる剣舞が誕生したと考えられます。
武術の動きに音楽は感じられませんが、現代の剣舞の動きには確実に音楽性が感じられます。
また、剣詩舞は詩心を表現するといわれますが、
詩心を表現する為の身体の運動は、正に音楽を奏でる運動そのものなのです。
歌舞うたまい的な吟剣詩舞は、学問から発した吟詠と武道から発した剣詩舞が影響し合って、自然成立した日本民族芸能のひとつといえるでしょう。
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ところで、歌舞という時、一般的な感覚では、舞踊でいう「立ち方」と「地方」の関係を連想しますが、
「立ち方」と「地方」の関係は、舞踊が開発した様式であり、私がここで述べている歌舞とは少し意味が違います。
歌舞的な吟詠&剣舞が第一次全盛期を向えた頃、舞台上ではまさしく吟詠と剣舞の真剣勝負が行われたと聞いています。
おそらくスペインのフラメンコのような舞台だったろうと想像されます。
このような歌舞的、一体的な吟剣詩舞がだんだん見られなくなって来たことに一抹の淋しさを覚えます。
いろいろな構成が企画される中に、歌舞の真髄を追求する舞台もまた期待されるところです。
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