大きな影響を受けた方々 



多くの方々の指導や助言や影響を受けて今日までやってこれました。
その中でも特に大きな導き手となってくださった方々について述べたいと思います。



青柳芳寿朗神武館道場2代目館長)
私の剣舞の師であり、今は義兄でもある青柳芳寿朗先生は、剣詩舞に限らず、古武道、吟詠、横笛、台本の執筆、演出等々・・・、正にスーパーエキスパートと呼ぶにふさわしい才能の持ち主です。
そもそも私を吟剣詩舞音楽の道へと導いてくださったのが、この芳寿朗先生なのです。
先生は早くから吟剣詩舞音楽の必要性を感じ、凰笛(おうてき)という独自の横笛を考案し、製作し、演奏されたり、また、笛や筝などをご自分で多重録音して吟に伴奏を付けたりされていました。

私が剣舞とは別にピアノや作曲を学んでいたことを知り、「一度吟詠の伴奏を作ってみないか」と誘われたのです。
私が「邦楽の知識がないから」と躊躇すると、「その方が逆に新鮮なものが出来るかもしれない」と言われ、道場の錬成会の時などに先生の吟をピアノで伴奏するようになりました。
「これからの吟剣詩舞には新しい音楽が必要になる」という先生の持論と、私の音楽的興味はいよいよ一致しましたが、いざ実行となるとなかなかいいアイデア浮かびません。
折りしも、、シンセサイザーという楽器が一般でも手の届く価格で市場に出てくるようになりました。
もちろんその頃は、モノフォニック(単音しかでない)で、アナログ(つまみを回して音を作っていく方式)の時代でした。
さっそく、その楽器を道場の備品として購入することになりました。
私も興味津々・・・さて、楽器は届いたものの、音が出ません。
やむおえずヤマハから出張してもらい数時間のレッスンを受けてようやく使えるようになり、自宅から4トラックレコーダやミキサーなどを道場に運び込んで、二人による音楽作りが始まったのでした。

もちろん稽古を終えてからの深夜の合同作業でした。
作品の初演は道場の大会でした。確か昭和55年度の道場の発表会だったと思います。
道場では古くから毎年、神戸の国際会館や文化大ホールで大会を開催しており、発表とは別に毎回ひとつ構成番組を企画していました。その部分を担当させもらったのです。
未だシンセサイザーが出はじめの頃でしたので、今となっては恥ずかしい音色ですが、懐かしい思い出です。
シンセサイザーと吟剣詩舞という組合わせが面白かったのか、音楽雑誌の取材もありました。
うれしいことに、その後見る見るシンセサーザーの開発が進み、気が付けば部屋中楽器だらけになっていました。




山岡哲山先生
言わずと知れた吟詠のプロフェッショナルですが、同時に、プロデュースにかけても驚くほどのアイデアの持ち主であります。
神武館道場発表会の来賓として来られた際、私の音楽を気に入ってくださったのでしょう、自宅の方へお越しになり、道場内だけではなく広く吟剣詩舞界の手伝いをしてもらえないかというご相談でした。
まずは先生の大会において「坂本龍馬」のBGMを担当させていただきました。
そしてまもなく関西クラウン吟詠家ジョイントリサタル(S62)がスタートし、以降今日まで音楽を担当させてもらって居りますが、その第二回公演に際して、先生が「今回から構成番組の伴奏を全部シンセサイザーのカラオケでやりたい。」とおっしゃった時には、私も少々考え込んでしまいました。
吟詠には拍子がありません。当時、吟者もカラオケで吟じるという経験はほとんどなかったようでしたので、本番でどうなるか心配でした。先生は「出演者がカラオケに慣れるまでには数年かかるだろうが、今年、その一歩を踏み出したい。」というお考えでした。
その数年後、伴奏集DRYの発売となり、多くの方にシンセサイザーの伴奏を使用していただける基盤が出来上がったわけです。



先生の凄さは、アイデアもさることながら、アイデアを出すタイミングが絶妙で、しかも内容が的を得ていることです。
アイデアというのは、時が早すぎても遅過ぎても失敗しますし、同時に、いかに斬新でも必然性に欠けると失敗に終わります。
直感的な才能と実行力を兼ね備えている人でなければ出来ない技だといつも感心させられるのです。



剣詩舞曲「火焔の如く」も、仕掛け人は山岡先生でした。
吟詠家でありながら、「音楽だけで舞える曲を作ってもらえないか」とのご依頼には、いつものことながら驚かされました。






私は芳寿朗先生によって吟剣詩舞音楽へといざなわれ、山岡先生によってより広い活動の場を得たわけです。




夏目俊二先生
私くらいまでの年代なら、映画俳優夏目俊二の名をご存知の方は多いでしょう。
Yahooなどで「夏目俊二」と検索すれば、関係ページがズラーと出てきます。
私と夏目先生とのご縁は、かなり昔、私がまだ学生だった頃にまでさかのぼりますが、当時はまさか音楽でお手伝いをするようになろうとは夢にも思っておりませんでした。。
先生は映画界を退かれた後、神戸で「劇団神戸」を創立し、演劇活動を進めておられました。
私がはじめて劇団神戸の仕事をさせていただいたのは昭和62年でした。
「源氏物語殺人事件」という芝居で、演出は栗塚旭先生でした。
この公演を皮切りに、その後ずっと仕事をいただいております。


その間、実にいろいろなことを教わりました。
教わるといいましても、もちろんレッスンではありません。
いわゆる「盗む」という方法です。
舞台音楽のこと、舞台演出のこと、美術や照明のことなど、貴重なことを現場で学ばせていただきました。
出演されるプロの俳優さんたちからも多くのことを教わりました。
演劇音楽では、クラシック系はもとより、邦楽系、アジア、スペインやギリシャ系・・・など、広い範囲の音楽が求められます。
自分からでは、なかなか学習しないようなものまで必要に迫られてやりました。
一見吟剣詩舞の音楽とは縁遠いジャンルのようですが、これらの経験が現在の私の音創りに大きなプラスとなっていることを、誰よりも自分自信が一番よく分かるのです。