初めての手術体験入院4月22月、いよいよ入院。朝10時外来へ行き、心電図、心肺機能検査、血液検査、胸部・腹部レントゲンを受け、
昼食後心臓超音波エコー、夕方主治医から今の状況、術前治療の効果、手術の方法、術に伴うリスクなどの説明を受けた。
入院前は子供の高校入学や入院の準備、いろんなものを夫や子供が一目見ても分かるように留守宅の整備とストック食品の買いだめ…
で…あわただしかったので、疲れがたまっていたのかぼや〜っとTV見ながら友人や夫にメールを打ちながら眠ってしまいました。
目が覚めるともう8PM、ここは5Fで見晴らしがよく、目の前には一面に神戸の夜景が広がっており
宝石箱を散りばめたような港の夜景にしばし我を忘れる。
翌日、朝8時前寝ぼけ眼でTVをボッーと見てると、看護師さんが来て、超音波エコー検査に行って下さいとのこと・・・
起きがけなので、ノーメイク、ノー眉毛、ノーヘアー、どう見ても「スター・トレック」に出てきそうな宇宙人。
あわててウィッグを付けて用意をする。メイクをする間もなく、配膳される朝食を横目に超音波室へ。
早朝で検査技師の人もまだまばら・・・ノーメイクは恥ずかしかったけれど速やかに手術前最後のエコーチェック。
夕方はマンモグラフ撮影。術前なので丹念にいろんな角度から撮る。
胸を挟んでペタンコにしての放射線撮影なので超痛い!(・o+)うぅぅぅ
最初の検査の時は女性の技師さんだったので気楽だったけど、今日は男の技師さんで研修生らしき助手さんまでついてるから
痛いし、恥ずかしいし〜〜〜〜〜でも女40過ぎてるのにこんな事を気にしてるなんて癪に障るので
始終ポーカーフェイスで頑張る。まだまだ手術まで長い道のりなので、こんなことでめげてはいられない!
羞恥心、恐怖心はすべて冷凍庫で瞬間冷凍!!!!!
日曜日だったので、夕方には夫と子供たちがお見舞いに来てくれた。
手術前日
手術前日朝食後TVを見ていたら、JR福知山線の尼崎近辺でかつてないような衝突事故が起こり
TVはどのチャンネルもえらいことになっていた。
窓外の東方より慌しい救急車が遠くに聞こえ続けている。近くはないけど、遠くもない。
奇妙な臨場感で災害の緊張が伝わって来て、朝から深刻な憂鬱に囚われた。眉間に皺を寄せながらニュースに見入っていると
昨日田舎から来てうちの自宅に泊まっていた実家の母が付き添いに来てくれた。
80歳の高齢なので、私の病気のことを伝えるのに気を遣ったが意外に持ち前の笑顔で私を安心させてくれた。
いろんな事があったのに…相変わらず私よりずっと明るく可愛い癒し系の母であった。(;^_^
A
午後からは夫の母もお花やパジャマやいろいろ持って来てくれ、本当に皆にお世話かけしました。
手術前日は看護師さんが頻繁に熱や血圧を計りに来る。午後6時の夕食後は一切食べれないし、
下剤を飲んで、9時以降は水分も摂れない。手術後は当分お風呂も入れないので、朝予約券を買いに行き
個人風呂にゆっくり入った。さようなら〜、My Right
Breast〜。・°°・(>_<)・°°・。
夕方、手術室の看護婦さんが挨拶に来られた。夕食後、やっぱり不安で友達にメールなんか送りまわっていると
麻酔のドクターが来られて、いろいろ麻酔の説明をして下さった。
父の手術の時起きた異変や心停止のことについて心配だったので相談した。
年齢的なことやいろんな持病があった事、飲酒やタバコの習慣、動脈硬化などのリスクが高かった事とか考え合わせると
遺伝的な体質が原因ではないだろう。若いし合併症や持病もないから大丈夫でしょう。とおっしゃられたので安心した。
麻酔のパンフレットを読んでいると、今度は主治医の先生が来られた。
「いかがですか?体調はどうですか?」先ほど麻酔の先生が来られたことを告げると
「何か心配なことありましたか?」とおっしゃるので、先ほどの不安を話した。
「大丈夫ですよ。全身麻酔はすぐに眠くなるから、何も痛くありませんよ。」
普段いつも忙しそうなので、ゆっくり話す暇がなかったけれど、にこやかに落ち着いて不安を聞いて下さったので、
心が穏やかになって不安が和らいだ。「明日はよろしくお願いしま〜す。」と退室するドクターに元気に挨拶をした。
こういう時は40過ぎのおばちゃんも子供のような素直な気持ちになるものである。
睡眠薬を飲んで、チッタの「ネイチャー・ウェイ」をCDプレイヤーで流し、ヘッドホンで鳥の声や
せせらぎの音、潮騒の音に心地よく浸り、深く深呼吸をしながら次第に眠りに落ちた。
手術当日いよいよ手術日。朝、5時ぐらいに目が覚める。最近老人みたいに早起きである。
病気のせいか、いつも体がハイテンションになっている。
下剤を飲んでいたので、早速朝の使者到来。顔を洗って、歯磨きをして、身なりを整えて、窓から朝の風景を見渡す。
今朝は朝食も抜き、もう水分も摂れない。手術は13時の予定。
何度も手術の本やレジュメを読んでいると、何となく腸が過剰反応起こして、再びトイレへ。
それでも、9時くらいになるとなると看護師さんが来て、さらに浣腸・・・しかもイチジク浣腸ではなく
15センチくらいのノズルのついた麻酔ゼリー付き浣腸を持参。ゲゲゲゲゲ〜!
こんなのを入れるの?「私が処置してもいいですが、ご自分でされるかたもあります。どうされます?」
「じ、じぶんでひまふぅぅぅ!〜(⌒◇⌒;)
」と即決。
「入れるのは簡単ですが、こらえるのが結構きついみたいです。最低でも●分(忘れた)はこらえて下さいね。
手術中の嘔吐や排泄を避けるものですから・・・」と親切に、そしてとても気の毒そうに指導してくれた。頑張ってこらえた。
実家の母や義姉、夫の母が次々に来訪した頃、点滴が始まった。
肩に筋肉注射を打つ。うわさには聞いていたが、これが結構痛かった。
手足が変に冷たくなってきたので、温かいタオルで温めてもらった。13時からの予定が
急患の手術とかが詰まってしまい、なかなか手術室へのお呼びがかからず、手術が始まったのは15時前だった。
筋肉注射が効いて来て、ストレッチャーで手術室に運ばれる頃には、何となく夢見心地な気分で
恐怖心が緩和されて来た。エレベーターや廊下、開き扉、エレベーター、見慣れない開き扉・・・
手術室、思ったよりたくさんの手術服を着たスタッフ、たくさんの機械、そして魂を揺さぶるロックのビート・・・(えぇぇ????)
何か注射のせいでよく覚えてないのですが、BGMに結構ハードなロックを聴いたような・・・ありえないよね〜?
幻聴だったのかもしれない。(゜▽゜;)
よくTVとかで見るようなライト、麻酔の先生の顔、軽々とストレッチャーから手術台に移される。
ベテランそうな看護師さんが手際よく胸に心電図の吸盤をペタペタと着けて行く。「マスクをつけるとすぐに眠るからね。」
まるで全てが夢の中の光景のよう、「執刀医の先生」と麻酔の先生の声。一瞬主治医の顔を見たような気がしたのですが、
次第に眠くなるのかと思ったら、その後の記憶は全くなく、気がつくとそこは集中治療室だった。
体を包み込むような感触のベッドにサナギのように固まった自分が横たわっている。顔にはまだ酸素マスク・・・
胸には心電図の吸盤、指先には血中酸素量を測定するクリップ、背後にはそれらのモニター。
体の感覚がなく、まるで意識だけの魂になったような不思議な感じ。
主治医が聴診器を胸にあてると「しっかりした音がしていますよ。」
「ありがとうざいます。」としぼりだすように大きな声で言ったつもりが、全く声にならない声。
夫や母や姑や義姉が病室の入り口のところでニコニコ手を振っているのが変に呑気そうに見えた。
手術は3時間位の予定と聞かされていたけれど、リンパ節への転移がなく、
1個だけ郭清したので2時間弱で速やかに終わった。
少しして麻酔の先生が「気分は悪くない?」と聞いてから、酸素マスクを取ってくれた。
この辺の記憶は、ぼぉぉ〜としていたので、前後すると思う。
両足には保温するソックスのようなものが履かされていて、呼吸のような速度で、膝から下を圧迫したり温めたりして
末梢神経の血行を促しているようで、「プシュー」という独特の音を繰り返していた。これはフットポンプという機械らしかった。
深夜はずっと抗生剤や痛み止めの点滴を打ち続けた。少しづつ体の感触が戻って来る。
看護師さんが来て、「うがいをしましょうか」と言って、ストローで水を飲ませてくれた。
くちゅくちゅして、看護師さんが差し出すボウルに水を伝わせて吐き出した。
口の周りに何か固まっていたので、スッキリした。次に少し年配の看護師さんがやって来て
唐突に「歯磨きをして下さい。」と歯磨き粉のついた歯ブラシを差し出した。手に少し力を入れてみる・・・動いた。
手を上げて差し出して、ブラシを受け取り、口のところへ持って行く。大げさかもしれないけれど、
何か「ウォーウォー」と声を発し、水の感触に言葉がよみがえったヘレン・ケラーのような熱い気持ちが込み上げて来た。
口の中が乾いてねばねばした感じだったから、歯磨き粉のミントがすごく爽やかだった。ストローで水を吸い込みうがいをした。
生き返るような気持ちでさっぱりした。ウトウトと半眠りの状態で数時間が過ぎて行った。
手術翌日
窓の外が明るくなって来た。心電図の吸盤を外してもらった。
「先生の声が聞こえるから、もうすぐ朝の回診に来られると思いますよ。」とにっこりして看護師さんは退室。
お隣のベッド人も昨日手術されたようで、フットポンプの音がしていた。昨晩は子供さんもお見舞いに来られていたようだ。
ドクターが来られて「ご気分はいかがですか?」とにっこり。こんな時はドクターも看護師さんもみんな親切な気がして
子供のような純粋な気持ちになってしまう。傷口のガーゼを変えてもらい「どの位、手は上がるかな?上げてみて下さい。」
と言われるので、オドオド手を上げかけると「ほら、大丈夫ですよ。」と手先をスーッと真っ直ぐに引っ張られた。
「アッ!」と思ったけど、真上に手が上がってびっくり!手術したばかりなのに・・・
「そんなに痛くないでしょう?大丈夫ですよ。」と次の回診へ。何か告知を受けてショックだったことが走馬灯のように駆け巡り
こんなんだったら、怖がらずにもっと早くに受診すればよかった。早ければ温存法も出来たのに・・・後悔、後悔・・・
右手は手術後は点滴も採血も出来ない、左手はまだ点滴をしている、というわけで足から血液検査の採血をする。
手よりは少し痛かった。朝食は牛乳とパン少しとほうれん草を一口。段々体が動くようになって来た。
看護師さんが尿管を抜いて体を拭いてくれた。ちょっと恥ずかしかったけど、温かいタオルが気持ち良かった。
手術着から自分のネグリジェに着替えさせてくれた。胸には胸帯が付けてあり、手術跡の下には穴が二つ空いていて
その穴からドレーンのチューブが肩から斜めがけしたドレーンバッグへとつながっている。郭清した部分から出るリンパ液を
この管で体外に排出しドレーンバックに溜める。見ると胸の下からチューブが出てるので怖いみたいだけど
これが不思議と痛くないのだ。まだ胸帯の下の手術痕は怖くて見れないけれど、ドレーンは「不思議」。
「少しづつ体を動かしてみてね、もうすぐ病棟から迎えに来ると思うので待っていて下さいね。」
乳腺の手術は回復が早いので集中治療室は異常がない限り1日だけである。
麻酔の後は出来るだけ痰を出した方が良いらしいので、
教えてもらった方法で、咳をしながら痰を出した。わりとうまく出来た。
少し動いてみようかな〜とベッドの縁を持って、下へ降りてみた。結構動けるみたい・・・。
調子が出て来て、洗面台まで立って行って歯磨きをしていると、
看護師さんがガラーッと戸を開けて「あら、すごく元気だわ」とびっくり。
病棟の看護師長さんが車椅子で迎いに来てくれて、病室に帰った。
(術後化学療法)
術前化学療法
2004年12月16日、紹介状を持って初めての診察を受けた。すぐに超音波エコーと2方向からのマンモグラフと胸部CT、
穿刺吸引細胞診と血液検査を行う。次の週に局所麻酔して超音波ガイド下針生検を受けた。
穿刺細胞診と針生検組織診
他に転移がないか精密検査…骨シンチグラフィという99TC放射性同位元素(アイソトープ)を用いた骨の検査などもした。
クリスマスイブに検査結果を聞き、腫瘍径40mmの浸潤性充実腺管がんであることが確定した。
もう告知は受けていたので覚悟は出来ていたけれど、それでも重いクリスマスプレゼントだった。
幸い明らかな転移は見つからず、新年から治療が開始できるように胸部レントゲンと負荷心電図検査を受けた。
最近有効と実証され始めてきたタキサン系の抗がん剤パクリタキセルとエピルビシン&シクロフォスファミドを
組み合わせたEC療法を術前術後に投与する無作為化第U相臨床比較試験に参加することに同意した。
年も押し迫った12月28日、心臓の超音波検査を受け、新年からの治療の方針と薬や副作用の説明を受けた。
今回の年末年始はいつにも増して地味なもので、掃除も最低限に抑えて体第一で
家族みんなに協力してもらえたのがありがたかった。新年はしんどかったけれど
治療が始まると、当分実家にも帰省出来ないだろうから、2日にあわただしく日帰り
ショックを受けると困るので、この時点ではまだ実家の母にも義姉にも病気のことも治療のことも言えないでいた。
だって、まだ兄の一周忌を済ませたところなのに・・・・・・まだまだ死ぬわけにはいかないのだ!
2005年1月4日、まだ松の内も明けぬうち、術前化学療法は始まった。
病院には盆も正月もないようで・・・後で外来で知り合った人は
年末からお正月に調子が悪く入院されていたという。
まだ、お正月休みの人もいるだろうに、病院は患者さんでひしめき合っていた。
自分が病気になる前は、お正月に病院で苦しんでいる人の事とか考えたことがなかった。
子供のときから半身不随の要介護老人が家にいたり、親や兄の看病に通っていて
病院に慣れていると思っていた私でも・・・。
血液検査の結果は異常なかったので、点滴が開始された。
この日から、毎週1回12週続けてウィークリパクリタキセルの投与を受ける。
この薬は、効けば腫瘍が消滅したり、全摘だといわれていた人の腫瘍が急激に小さくなり
温存法も可能になった臨床例もあるという。でもいろいろな副作用があり、脱毛も避けられない。
点滴時には副作用を緩和する薬が添加されているので、ウトウトと眠くなってむしろ気持ち良かった。
回を重ねていくと、大体副作用の出方にはパターンがあり、点滴投与直後の一日はむしろ体調はいつもより好調〜♪
2〜3日ぐらいがすごいしんどい。月曜日に投与すると水曜日、木曜日が有害症状のピーク。
この日を越すと金曜日、土曜日と次第に緩和され、日曜日には「明日も頑張るぞ!」みたいな気分になる。
これも個人差があるだろうけど、私の場合は手首や足首などに帯状疱疹のような薬疹が出て
目の下の頬からこめかみにかけての肌が荒れてガサガサになったが
皮膚科で抗アレルギー剤と塗り薬をもらって、ある程度コントロール出来た。
その時は不安だったけれど、治療が終わったら、薬疹はひいて、今は紫色に残っていた薬疹痕も綺麗に消えた。
脱毛は3〜4回目ぐらいから多くなり、1ヶ月経った5回目にはドバーッと一気に抜けた。
抜ける時には地肌が引っ張られるように痛くなり、洗髪すると、気持ち悪いほどズルッと流れて行く。
最初のほうで、美容院で短くカットしてもらっていたので、抜けた毛の始末は楽だったけど
一番ひどいときは、枕や寝床、洗面所の床、リビング・・・と何処へ行っても髪の毛が落ちているので
やたら掃除機かけたり、ティッシュで床を拭いてまわっていた。
6回目の点滴にはもうすっかりハゲ親父風のつるつる頭になり、面白いので写メールで撮りまわった。
子供の事とか学校とかも極力夫にバトンタッチして出てもらっていたけれども、
それでも夫の仕事も忙しい真っ盛りだったので、やっぱり公事用のウィッグを買って出れるときは出た。
身体的な症状としては、出血傾向が強くなった。痔主さまの私は切れ痔で血まみれ〜(゜.゜;) ウッ・・
さらに生理後も不正出血が1週間近く続くので、婦人科へ。
子宮体がんと子宮頚がんの検査を受けたが異常はなく、子宮筋腫もなかった。
そして止まってから今に至るまでNO生理。もう無くなっちゃったのかな?
タキソールは卵巣機能を抑制するので、そのせいかもとの事。
先生は1年ぐらいなくても分からんよ。とおっしゃるが、年齢的に考えると何とも言えないらしい。
これでホルモン療法とか始まると、完璧に上がっちゃうかも。ま、もういりませんが・・・痛いし・・・
ま、痔出血のほうは回を重ねるごとに落ち着いてきました。後半は手足のしびれが強くなった。
手の感覚が鈍く、何度か食器を洗っていてお皿やコップを割ってしまった。
それでも、点滴の前日になるとわりと元気になってしまい、点滴はしっかり毎週受けれた。
という感じで9回ぐらいまでは、しんどいと騒ぎながらも、先生や看護師さんに励まされながら
アッという間でした。でも10回目前後は視力が急に落ちたり、関節痛やしびれがひどくなり
眼科で目薬もらったり、漢方薬をもらったりしてコントロールしながら、10回達成した時には感無量!
で、この後2回が意外に重くてしんどくて、筋力低下で膝下砕け状態で歩きにくかったり
先生に泣きついて1回お休みをもらってずらして、
何とか12回終了することが出来ました。(;_;)
腫瘍は一応最初の半分弱に縮小したのだけれど、少し厚みがあり、ガイドラインでは全摘。
がっかりしたけれど、ある程度覚悟はしていたし、少しでも小さくなるってことは効いてるってことだし・・・
というわけで、3月28日、最後の術前化学療法が終了した。
この間、出来るだけ野菜をたくさん食べ、ニンニク、紫蘇、バナナ、トマト、生姜など効酸化食品を大量摂取。
DHA豊富な魚や鶏のささ身などの良性タンパク質を工夫して摂取した。
手術まであと1ヶ月弱、体調を整えて準備を整えて、不安やびびりんモードと闘いながら
初めての病気入院、手術に臨む決意を固めるのでありました。
はじめに
子供の高校受験やなんやかんやで、あわただしい毎日を送っていた2004年の秋、
ひどい肩こりや倦怠感に悩まされながらも、ストレスを発散させるために、
家事や用事を済ませると、スポーツジムへ行って汗を流していた。
その時右胸に何となくしこりを発見、生理につれて大きくなったり小さくなったりするようなので
乳腺炎かなと思って、ドクダミのお茶とかを飲んでいた。
でも、その時何となく不安は感じていたのである。乳がん検診は一度も受けてなかったし、
ちょうど40代後半というと乳がん最多発年齢ということで
最近とみに女性雑誌でもマスコミでもうるさく騒がれていたから・・・・・
それでも、当時迷いの多かった息子が、やっと高校受験の事を真剣に考え始めて
動き出した矢先だったので、こんな時にもし病気になったら最悪!病気でも病気になれないような状況だったのだ。
「まさか」という気持ちと「もしかしたら」という不安が交差する中どうしても診察を受けることが出来なかった。
遅ればせながら個別指導の塾に頼みこんで、毎晩塾に通う長男のケアや
各地で開かれる学校説明会に走り回っていた11月〜12月。
12月の始め頃、ついに我慢は限界に。朝起きても肩や胸が引きつる感じで、しこりも大きくなってきたようなのである、
触った時に何かザラッとした独特の硬い感触が、曖昧だった不安をある確信へと導いていった。
夫もやたら心配するので、関西の名医リストを見て、O成人病センターのI先生の診察を受ける。
診察室には超音波エコーが備え付けらておりその場で「乳がん」と診断された。
その時は不思議なくらい淡々していて、とにかく詳しく自分の置かれている状況を聞こうとしていた。
もっと詳しくマンモグラフィや生検をしてみないと分からないが、U期あるいはV期で、
今すぐにでも化学療法を始めた方がいい。と宣告された。でも、家庭や子供の世話もあるし、
「出来れば近くのほうがいいんだけどね。」と言われて近くにいい先生がいるからと紹介状を書いてもらった。
大阪からの帰り道、張りつめていた気持ちがプツンと切れたみたいで、夫の車の中で涙がポロポロ出て止まらなくなった。
長年つれそった夫は戦友みたいなもので、何も言わずにいてくれることが反対にありがたかった。
その時は必死だったけれど、後で落ち着いてくると、紹介してもらったK病院のM先生も、
地元の医療情報の相談欄とかで執筆されていたり、講演会などもされている先生だった。
初診の時はすごく緊張したけど、さっぱりとした感じで相談しやすい先生でホッとした。
とにかくマジで「乳がん」になってしまった。大阪の病院では化学療法をしても全摘は覚悟した方がいいと言われたけれど、
地元の先生には、化学療法がすごく効いて温存できる人もいるからあきらめないでと言ってもらった。
結局全摘は免れられなかったけれど・・・とにかく、術前化学療法と手術、術後化学療法とホルモン療法が
私がこの病気になってクリアしなければいけない基本的治療だった。
最近日本では「乳がん」にかかる人が年々増えているそうです。早期発見すれば
完治も可能であり、治療方法にも様々な選択肢があり、たくさんの臨床例により
より有効な治療方法やガイドラインが確立されつつある分野だそうです。
こうして、インターネットでも沢山の情報が得ることが出来、
同じように闘病している人たちと励ましあえる時代で良かった。
決して楽観は出来ないけれど、前向きに治療に取り組み、自分の生活やQOLを大切にしよう!と心に誓うのです。


はじめに 術前化学療法 初めての手術体験 術後化学療法 参考文献 My Blog
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