60年代のエリック・クラプトンのギター
【クリーム時代を中心としたエリック・クラプトンのギターの真実】

改訂版(まだまだ事実調査は続きます)2002.12.18


1.クラプトンの読んでいるのが「ビーノ」という漫画本で、これを「ビーノ・アルバム」と呼ぶのだな。

2.ブルースブレーカーズでの
レコーディング風景


3.ブレーカーズのレコーディングで使用されたマーシャル1962コンポ-50Wに増幅されている


4.2本目のレスポール

5.クリームのファーストアルバム
「Fresh Cream」

*ロック・ギターの歴史を切り開いたクラプトンとレスポールの出会い

クラプトンといえば思い浮かぶギターは何であろうか。最近のファンの人なら間違いなくストラトキャスターと答えるかもしれないが、クラプトンがもっとも時代の先駆者でありえた60年代においては何をおいてもレスポールを挙げねばならない。いや、普通ならSGと答える人のほうが多いのはわかっている。しかし、それでも私はあえてレスポールにこだわるにはそれなりの理由がある。

レスポール・スタンダードの簡単な概要をおさらいしてみよう。pickupsがダブルコイルのハムバッカー(Patent Applied For)である1958から1960年までに生産されたsunburst Les Paul Standardは1,850(1700とも言われる)本にしかすぎない。Les Paul Standardの中でもトラ目のようなフレイム・ストライプを持つものは最高級の評価を受けている。しかしながらこのギターは60年代初期においては今ほどの評価は与えられていなかった。

もともと彼はフレディ・キングのアルバムカバーを見て目に焼きついたレスポール・ゴールドトップ(PUはシングルコイルのP-90である)が欲しくてロンドンの店に買いに行ったのだが、それがなかったために通常のレスポール・スタンダードを買ってしまったことにはじまる。それはhumbuckersを装備したより新しいモデルであった(ゴールドトップは1952-1957年に生産された初期モデルである)。彼はそれがゴールド・トップと同じくらい素晴らしいギターであるとは当初理解していなかったようだ。

この偶然性とこのギターの魅力を即座に見抜き、自らの音楽性を表現するためにレスポールというギターを使い始めたクラプトンの先見性は奇跡的でもあり、また時代の要求に見事にマッチしていたという点でも実にミステリアスな出来事であった。そもそも彼がなぜレスポールを使うにいたったのかは実に歴史の偶然性の産物であったかもしれないが、新しい音楽=ロックというカテゴリーに見事なまでにマッチしたサウンドを生み出したレスポールという楽器とそれを操ったクラプトンというギタリスト。いやむしろ、彼がレスポールを使ったことでロックの革新的発展を促したという事実に私はある種の必然性を感じずにはいられないのだ。

もちろんこれはマーシャル・アンプ1962コンポと併用した上でという条件付だが(写真3)。ちなみに、クラプトンはこのアンプをマーシャルに依頼して45から50ワットにパワーアップさせ、ライブではダラスのレンジマスターをつなげて使用していた模様。単体で使用するには音が大きすぎてアンサンブル上問題があったのだろう。

クラブトンが1965年6月ごろからジョン・メイオール&Bluesbreakers(with EC)アルバム(写真1)で使用していたレスポールは、ニッケルメッキされたpickupカバーは取り外されてブリッジ側(リア)は黒いPAFがネック側にはクリーム色のそれが露出していた(写真2.参照)。それは彼のお気に入り(特にサウンドとネックの形状、及び指板のタッチなど)のギターだったが、1966年6月頃の初期のクリームのリハーサルからCreamの最初のギグの7月(マンチェスター, イギリスのTwisted Wheelの1966年7月29日)頃の間に盗まれてしまった。まさにたった1年間だけの使用に終わった悲劇的なギターである。クラプトンは後年にインタビューでこう言っている。「私がかつて持っていた‘最も良い'LesポールはCreamの最初のギグのためのリハーサルの間盗まれた.」 しかして後年彼はやっと盗まれたものと同じくらいとても素晴らしいレスポールを手に入れたそうだ。現在彼の手元には2000年のオークションには出されなかった数本のレスポールが今も大事に保管されている。

さて、このレスポールは何年に製造されたものであったのか。ヒントはネックにある。すなわち、スリムなネックでボディのチェリーの際立った特徴こそは1960年製の証明でもあったのだ。長らくこれが60年製だと知られなかったのはクラプトンが年代にあまりこだわりがなかったために語られることがなかったことによる。ちなみにブレーカーズでのクラプトンの後任、ピーター・グリーンが使っていたのは59年製、その後任におさまったミック・テイラーのものは58年製であった。ホワイト・スネイクのバーニー・マースデンが後に手に入れたのはこのクラプトンのレスポールであると言われている(60年製はほとんど褪色しないと言われており強烈に褪色してレモンドロップ化しているそのギターがはたしてECのものなのかどうか真偽の程は不明)。


その後2本目に目にするチェリー色のレスポール(写真4)はオプションでBigsby tremeloが取り付けられたものでトラ目がよく浮き出ている。これはピックアップカバーがそのままにしてあり、1966年7月31日の公式の「デビュー」Windsorブルースフェスティバル(第6回National Jazz & Blues Festival)で使用されていたことが確認されているが、これはどうも借り物だったようである(元ポリスのアンディー・サマーズのもの)。そして、"Fresh Cream" albumのレコーディングでも使用された。この時にはアンプはマーシャルの1959Superlead変更されている。


6.謎の3番目レスポール
これでピックガードはずしたとなると、おお、スラッシュの大先輩ではないか。
3つ目に登場する彼のLes Paulスタンダードは PUスイッチプレートカバーもはずされていてトレモロのない通常のものである(これも60年製だと言われている-写真6)。これはPUカバーははずされており、ブラックPAFが確認できる。これも1966年後半から67年初めにはpickguardまではずされてしまった(写真13)。このレスポールは67年3月-4月のクリームの最初の米国の訪問の前に撮られた1967年3月15日の「フレッシュ・クリーム」の未発表曲のセッションとで使用されている。このギターと後述のアナハイム, カリフォルニアの1968Creamライブでの soundcheckで使われたレスポールStandardは同一のものではない。ただ真実はエリックが盗まれたと言っていたレスポールとは別にレスポールを持っていたということである!!

それではブルース・ブレーカーズで極上のレスポール・サウンドを聞かせていた彼がその後表向きにはレスポールを使わなくなっていったという変化を軸に彼のクリーム時代のギターの変遷を追っていこう。

   

7.セカンド「DISRAELI GEARS」

8.SG−レスボール61年製
安くあげようと自社製のアームをつくったのはよいが結局お蔵入りとなって高くついたというおちです。


9.ギアーズ・セッションでカスタム使っております。


10.es335の12弦モデル


*セカンド・アルバム「DISRAELI GEARS」の音(特にウーマン・トーン)の謎

クリームのスタジオ録音は今でも謎が多い。まず、クリームの時に使っていた機材はLP60年製スタンダード、レスポール・カスタム、ES-335、SG、ファイアー・バードなどのギブソン系ギターなどが知られているが、一説にはストラトも使っていたという。もちろんヤード・バーズ時代に使っていたテレキャスターもECは所有していた。次にアンプでは言うまでもなくマーシャルを使っていたわけだが、スタジオではフェンダーのオールドタイプもあったということだし、これまた昔はVOXも使っていた。

で、DISRAELI GEARSの時はもうSGをメインに使ってたらしいが、クラプトン自身はあの音をマーシャル−SGで出したと言っている。これを信用すればもう話が終わっちゃうわけだが、実際レコードを聞いてみると、非常に音がソリッドなのである。スタジオの「サンシャイン・ラヴ」のギターはSGだと一般に言われているが、SGだと確かに似た音は出るのだが、あのソリッドなウーマントーンはちとニュアンスが違うように聞こえる。で、ここから巷言われてるのが、あれは実はギターがフェンダー系だとかアンプがマーシャルではないとか諸説紛々となる。解散コンサートのビデオでクラプトンがウーマントーンを解説しているとこでSGを使っているのだが、どう聞いてもあのレコードのようではなく、ふやけて聞こえる。ここから使っているのはストラト(フェンダー系)じゃないかと疑問が出たわけである。次にアンプにしても確かにマーシャルでは簡単にそういう音が創れるが、オールドフェンダーでも目一杯ボリューム上げればそれなりの歪みが得られるというのもこれまた混乱の元である。

そして、ここからがさらにややこしいのが、かのプロデューサー、パパラルデイの存在である。彼は音をいじくりまわすのが得意というか、スピーカーから出て来る音をそのまま録音すると言う事はなかった。この時の音の取り方は簡単に言って3つある。

1.アンプスピーカーからの直接マイク取り
2.アンプを通したライン取り
3.ギターとコンソールを直結したライン取り

さらにこれらを適当にミックスするということもあるだろう。こうなってくると、ありとあらゆる組み合わせが考えられ、パズルのようでもある。

また、これは公然の秘密だが、スタジオにはファズ(ソーラーサウンドのトーンベンダーか)も置いてあったと言われている。クラプトンの好みは別にして、それを使ってくれといわれれば使ったかもしれない。いやむしろ、マーシャルのようなスタックアンプを大音量で鳴らすことのほうが非現実的であり(当時のマーシャルにはマスターボリュームはついていない)、音量と歪みをコントロールするために積極的に使ったというほうが自然ではないか。

ここまで書いておいてなんだが、実は1967年4月3-4日の最初のDisraeli ギヤーズ・セッションのためにエリックはレスポール・カスタム(1958-61) (通称ブラック・ビューティ)をニューヨークに買い付けに行っている。これは3PU仕様でカバーや金属プレートなどがゴールドでメッキされている。これをフェンダー・ツインリバーブ(Fender Twin Reverb)に通してLawdy Mamas/Strange Brewをレコーディングしているのだ(写真9)。つまりこの録音はマーシャルを使っていない。マーシャルを使ったのは1964 SGのほうで、これはストレンジブリュー(Strange Brew)のリードで使用された。この2曲のその他のパートはすべてLes Paulカスタムなのである。ただし、ツインリバーブは歪まないアンプである。となればギターとの間に何かのペダルがつながれていたと解釈するほうが無理はない。

レスポール・カスタムがSGに移行していくのは4月22日からだったといい、rhythm/basicギターのいくらかはカスタム、5月11-14日のギヤーズ(Gears)セッションではSGが広範囲に使用された。つまりクリーム・セカンド「Disraeli Gears」の大半の曲はSGとカスタムで録音されているわけだ(写真14)。

ということは、「サンシャイン・ラブ」の少なくともリズム・パートはカスタムとフェンダー・ツインリバーブという可能性もあるということになる?

こんな状況であるから、結論としては自分で試して一番近い音で納得するしかないのではないだろうか。前述のSGでもトーンのコントロール次第で近い音は出せる。もちろんフェンダー・アンプでもそれなりの音は出せると思う。

カスタムは67年5月のドイツ公演でもしっかりと使われている。

その他では"Dancing the Night Away" にギブソンES-335の12弦モデル(写真10)あるいはRickenbacker 12弦が使われている。

【新事実発覚!?】

元クリエイションの竹田和夫氏がパパラルディとユニットを組んでいた当時の話によると、パパラルディが言うにはクリームの「Disraeli Gears」「Wheels of Fire」の多くの曲でストラトが使われていたという。「Strange Brew」や「スーラバー」「トップ・オブ・ザ・ワールド」「アウトサイド・ウーマン・ブルース」などは間違いないとパパラルディは言ったと。当時のプロデューサーがそう言うのだから間違いないと言いたいところだが、私らの耳にはSGのような音はSGだと聞こえてしまうのである。スタジオではパパラルディ自らギターとアンプのセッテイングをしたということだから、ライン録音やイコライザー、エフェクターの使用など様々な要素が絡み合い、今ここで何を書いても推測の域を出ないのが悲しい。


11.サイケデリック・SG(現在の状態)
これは90年代の仕様。ほぼクラプトンが使っていた頃の状態に戻されている。


12.うーん、クラプトンってなんてかわいいんだ。食べちゃいたいぐらい(笑)。
ちなみにこの時はまだアームはカバーがはずされただけの状態です。


13.動かぬ証拠。ちゃんとレスポール使ってるやおまへんかー。これは3本目のもの。


14.ギアーズ・セッションにて

*クラプトンはなぜクリーム時代に主にSGモデルを使っていたのか?

クリーム時代のクラプトンのメイン・ギターはギブソン・SGの64年製であることが最近判明した。当初62-63年製と言われていたがそれが61年製に手を加えたものであるというのがこれまでの通説であった。SGは歴史的名器であるレスポール・スタンダード(58-60)の61年モデル・チェンジという位置づけで、当初はレスポールSGと呼ばれていた(63年まで)。

SGモデルは現在まで何度となくモデルチェンジを重ねてきたが、歴史的価値のあるのは初期の61-63年製に集中している。これは64年から契約上の問題でレスポールの商標が使えなくなったと言うこととともに、この時期のモデルには前モデル、PAF(patent applyed for=特許出願中)というマークの入ったレスポールと同じタイプの強力なハンバッキング・マイクが取り付けられていたためである。もちろん、デザイン的にもこの時期のモデルは現在までの様々なSGタイプの中でもっともバランスがよい。 (SGについての詳細はここ

細かく見れば、材質はホンジュラス・マホガニーの一枚板、ヘッドがレスポールよりも大きくなり、ネックがいわゆるワイド&フラットの薄いタイプ、重量も3キロ前後とレスポールより軽く、決定的にはネックの付け根までえぐり込まれたダブル・カッタウェイによってハイ・ポジションでの演奏性が格段に向上した事である。ネックの仕込みはレスポールと同じディープ・ジョイント。ただし、サウンド面では材質がメイプルのないマホガニーのみ、ボディ・ネックの薄さが音の厚みを若干落とした事と、フロント・ピックアップ(ネック側)がカッタウェイ形状のあおりを受けてブリッジ寄りになったことで、レスポールの音質と若干異なると言う事である。サスティーンもレスポールより落ちる。しかし、これは逆に見ればSGの個性であり、レスポールの代用としてこの時代のロック・ミュージシャンに広く使用された。レスポールは売れなかったが、SGは売れたのだ。クラプトンはマーシャル・アンプを使う事でその弱点をカバーしたばかりか、十分に艶と腰のあるサウンドを引き出している。

ただし、ギブソンは61年製からしばらく取り付けられていたオリジナルのサイドウェイズ・トレモロ・アームは非常に醜く、あまりうまく作動しなかったこととチューニング問題があったために後にもうひとつのギブソン製デラックス・バイブローラ(マエストロともいう)と社外製ビクスビーのものに変更した。63-64年から目に付く新しいデラックス・バイブローラはこのギターになかなかマッチしている。

クラプトンが使っていたのはSGの64年製であり、となるとPUはPAFではないし(ナンバードPAFと呼ばれる)、ネックのヒールとジョイントの形状も初期のものとは違っているし、ネックの厚さも若干太くなっている。64年製認定の決め手になったのはピックガードのねじの数である。61−63年製は5点止めであるが64年から6点止めに変更になったのだ。これはクリーム時代から現在のトッド・ラングレン所有の写真まで同じなので間違いない。それでもクラプトンのサウンドの素晴らしさを見れば何よりも上質のホンマホのファクターがいかにギターの音質の決め手であるかを証明しているのである。当然板バネバイブローラは標準仕様である。PAFではない64年製SGであっても十分よいサウンドを引き出せるところがあの時代のギブソンのつくりの良さを証明している。

彼は、67年3月のセッションで未発表曲「ヘイ・ナウ・ブリンセス」のフィードバックセクションでこれを使っているし、3月7日のKonserthusertのパフォーマンスでもマーシャルをバックに使用。4月のGrande Ballroomでのコンサートでは「Toad」「スプーンフル」その他でこれを使った。

あの有名なサイケデリック・ペイントは、アメリカのTV番組「Murray The K Show」にあわせてオランダのアーティスト「ザ・フール」によって塗られたものである(彼らはビートルズのマジカル・ミステリー衣装のデザインやギターへのペイントなどでも有名)。ジャック・ブルースのフェンダー6弦ベースにも同様のペイントが施されている。クラプトンは当初はオリジナルのアームカバーを取り外したのみで使用したいたが、後になって糸巻き(ペグ)をグローバーに交換し、さらにその後アームを取り外した状態で使っていた。アームについては68年初めのUSツアーで完全に取り外したらしいのだが、ブリッジ、テールピースへの変更(チューン−O−マチック仕様)は彼が68年6月に手放した後にこうなったらしい。同じくボリューム・コントロールがレスポールと同様のゴールドのトップハットノブに交換されナットがブラス製になったのはトッドの手に渡ってからであろう。ジョージ・ハリスン−ジャッキー・ロマックスを経て、現在はトッド・ラングレンが所有している。

※ここで、このSGが同時期にもともとジョージが所有していたSGと同じものなのかを検証する。ジョージ・ハリスンは66年のペーパーバックライターでこれを使用している。タイプとしてはサイケSGと同型のバイブローラがついたモデルである。そしてそれ以降ジョージのSGは表に出ることはなくなり、67年からクラプトンがSGを使い出す。これが同じギターであるとする推理は十分可能だ。ただし、ジョージのほうは世間では63年製で通っており、クラプトンのは仕様から判断して64年製である。単純に考えればこれだと同じギターだというには無理がある。しかし、64年製の特徴が64年から始まっているという例はギブソンでは通用しない。63年の後期でも64年製仕様が混ざっているということはありうるわけだ。ギブソンの他のモデルでもこういう例はいくらでもある。両者のシリアルナンバーがまったく明らかになっていない現時点では推論の域を出ず結局は断言することはやはりできないのである。ジョージにもらったギターを改造してペイントし、ひたすら弾きまくったものを(しかもネックは折れていたと思われる)再度ジョージに戻すというのも普通では失礼な話でもあるが、クラプトンに憧れを抱いていたジョージから見ればアイドルの使ったギターを欲しいと思う感覚も理解できなくもないし、かといってジョージがそれを間髪いれずジャッキー・ロマックスに譲ってしまうという感覚もちょっと理解に苦しむ。どなたか、ジョージのSGのピックガードのねじの数を調べてくれませんかね。クラプトンに直接聞いたほうが早いんだけどね。誰が聞くねん(笑)。

※サイケSGに関しての詳細はここ

さて、以上のことからクリーム時代のクラプトンがSGを使った理由がレスポールが盗まれたためだという話がおかしいことに気がつくだろう。確かにSGは触れ込みはレスポールのモデル・チェンジという位置付けであり、目新しさもあっただろうし(しかも値段が安い)、軽いという事も大きなファクターだったと思う。加えてネックがスリムというのもクラプトンの好みに合ったのだろう。60年以降のギブソン系はほとんどこのスリムネックになってて、 クラプトンの好きなレスポールもこのタイプの60年製だったらしく、SGは弾きやすさと軽さで妥協していたとも言えるが、もっと重要なのは新しいSGを使う上で方便として「盗まれた」話をそのまま生かしたふしがある。なぜなら彼は、SGを使用し出した67年4月にも別のレスポールをスタジオで使っているからである(写真13)。彼が人前でレスポールを使わなくなった意図が明らかになっていないが、意識的にレスポールから遠ざかるようになる彼の心中は何だったのか。サウンド的にはレスポールの方が断然音がいいわけだから。

そもそもSGはフェンダーのストラトキャスターに対抗して開発されたと言われている。しかも当時から流行り出したサーフィン・ミュージックに適応できるようにアームも装備された。一方でジミ・ヘンドリックスがストラトでギターの限界を超えるようなアグレッシブで縦横無尽な演奏を聞かせていたことも大きな影響を与えていたはずである。

一つの仮説は最初のレスポールが盗まれたことによる持ち出しでの盗難を恐れていたということである。つまりはレスポールの代用であったわけだ。が、しかし、すでにエリックはSGを使い出したこの時点で自らの音楽的放浪の旅を無意識にギターを通して象徴づけていたのではないかということである。一つのところに留まって同じことをしたくない当時のエリックの貪欲さは自分のサウンドを見つけ出すと言うことをギターを通じて模索していくきっかけになったと思われるのである。


15.「Wheels of Fire」


16.フィルモア・イーストでのリハーサル

*スローハンドの秘密

1967年5月からのUSツァーは、もっぱら1961 Les Paul SGである。しかし、いつのときにもECはひとつの予備として彼の黒いLes Paulカスタムを持ちこんでいた。

ECのトレードマークは、『Slowhand』だった。この渾名の由来は決して手がゆっくりなのに音がいっぱい出てくるということではない。

エリックは、ヤードバーズ時代からライトゲージストリングをいつも使用していたが、60年代初期の弦の品質は粗悪でチューニングは狂いやすく切れやすかった。彼は完全なピッチを要求するほどに几帳面だったのである。当時は1回のライブセットに与えられた時間は30-40分なのに、エリックは切れた弦の交換をピッチがしっかり合うまでひつこくやり続けたために、しびれを切らした観客がテンポの遅い拍手でせかしていたわけだ。すなわちこれがスローハンドの本当の由来だった。

この問題を克服するために、彼は予備のギターを運んだわけである。それはアメリカをツァーする時の彼なりの厳しいプロのアプローチだったわけだ。

1968年からのUSツアーは、トレモロを取り外したSGから始めた。彼は、予備として黒いLes Paulカスタムを運んだ。弦が切れたときは、カスタムにチェンジして演奏していたことが同年4月のクリームのライブで確認されている。

「Wheels of Fire」アルバムでのライブ「クロスロード」は68年3月10日ウインターランドのもので、その時期はまだSGは処分していないので、かなりの確率でSGだといえるだろう。

*「Wheels of Fire」(写真15)の使用機材

この時は68年前期USツァー中でもあり、メインはSGであろうが、「ホワイト・ルーム」のリードはファイアーバードだったという説もある。その他にもフェンダー系のギターを使っていたという話もある。実際のところはよくわかっていない。ライブ・サイドのギターはすべてSGであろう。


17.スマザーズ・ブラザーズ・ショウ
口ぱくで機嫌の悪いEC


18.ラストアルバム「Goodbye」


19.LPすたんだーどでサウンド・チェック
するの図(68年)―おいおい・・たのむで


20.ES335TDC


21.
Firebird T


22.デラボニでもカスタムよん

23.

24.

*音楽的放浪を示唆する使用ギターの変化

5月のTV番組Sumothers Brosショー(写真17)、6月11日Garden IslandショーではギブソンリバースFirebird Tを使用した。彼がLes Paulカスタムを重点的に使用したのは、5月のコンサートであったという報告がある。これは、エリックが5月にSGを使用するのをやめたからであり、その間にFirebirdがうまく使えるかどうかの実験的期間であったと推測される。

このカスタムは1969年のデラニー&ボニーとのライブでも使われていたが、トロントでのプライティック・オノ・バンドでのライブもこのカスタムが使用された(pickupカバーはなし)。

Sumothers Brosショーでは"Anyone For Tennis".Guilds12弦アコースティック・ギターを使っている。

6月に彼は、George HarrisonのプロデュースによるJackie Lomaxのためのセッションに参加していた。エリックは、その時にジョージにSGを譲り、その後ジョージはJackie Lomaxに譲った。Todd Rundgrenが1974年にJackie(Jackie)からそれを買った時(質屋に流れていたという話もある)、そのSGはひどいコンディションで、ブリッジはアコースティック用のものが取り付けられており、ネックの損傷も激しかった(あそらくひびが入っていたと思われる)。トッドはこれを再度実用的な物にするべく、ネックを差し替え、再ペイント、TOM仕様、ノブの交換などを施した。ヘッドやネック裏側のサイケ模様がクリーム時代と違っているのはこのためである。トッドは80年代にも一度ネックを折っており、リペイントはそのときになされたものかもしれない。

68年といえばビートルズの「ホワイトアルバム」へのセッション参加があげられる。このレコーディングにはチェリー塗り替えられたレスポール・ゴールドトップで、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のリードギターを弾いている。このギターはその場でジョージに譲られ、ジョージは以後ビートルズのレコーディングで使用。73年のレインボー・コンサートでは再びクラプトンに貸し出されている。このゴールドトップは57年製のPAFが搭載されたモデルであり、元々ジョン・セバスチャンが所有、この後リック・デリンジャーの手に渡りチェリーにリフィニッシュ、いったん放出された後、クラプトンが購入したという経緯をもつ。

68年後半の最終解散ツアーでは主にチェリー色のギブソンES-335(1962-64)とギブソン・リバースFirebird(1963-65)が使用された。「グッバイ」収録(写真18)の「トップ・オブ・ザ・ワールド」「アイム・ソー・グラッド」「政治家」はこの時期の演奏であるからES-335とファイヤーバードのどちらかであるが、いつもより線の細いトーンはファイアー・バードの可能性も高い。コード・サウンドの歯切れ良さはそれを感じさせる。「トップ・オブ・ザ・ワールド」でのソロは途中でクライベイビーを踏み込んでブーストしているのではないかとも言われてて、素のままではどうもサスティーンが足りなかったようだ。後半はもう泣きの極致である。ここにクラプトンのもろの感情が表れているようで、この時のクラプトンの気持ちの正直な表われかもしれない。成功によって失ったものはあまりにも大きかったと。「トップ・オブ・ザ・ワールド」の切羽詰まった緊張感は独特のものである。

クリームのライブは何とも言えぬ緊張感が特徴である。ロックンロール・タイプの曲でもアメリカのバンドとは明らかにノリが違うし、ブルースにしてもメジャーな開放感を感じさせるものは皆無であり、結果としてそれがブルースの範疇を越えてブリティッシュ特有の澱みをつくりだしていた。聴衆は踊ることもできず、ただカナ縛りにあったようにその世界に釘付けになったのである。この緊張感が切れたときのクリームの演奏は例えばフェアウェル・コンサートのようにあまり印象に残らないものとなるほどにその違いは大きいのである。よくこの時の演奏を素晴らしいと評する記事を見かけるが、書いた人間はほんとうに聞いて書いているのだろうか。クリームのメンバーでさえも、この演奏でクリームを見て欲しくないと言っているのに。

ファイアーバードと335はこの最終ツアーのすべてのコンサートで交互に使用された。Farewell Albert Hallショーでもファーストそしてセカンド・ステージでこの335とFirebirdが使われている(写真20.21)。

ファイアーバードと335についてはまた今度詳しく書く予定。

ところが、68年後半のラスト・ツアーコンサートではサウンド・チェックにチェリーまたはタバコ色のサンバースト・レスポールが使われていたという(写真19)。実際にステージでも使われたようである。このレスポールは58年製であり、クリーム解散後はポール・コゾフの手に渡ったとのこと。詳細は後日。

このサウンド・チェックに使われたレスポールはなんと1969年のオークランドのAlameda County Coliseumで開かれたブラインド・フェイスのライブでも使ったと言うからいやはや・・・。

こうしてクリーム時代、レスポールはメインとしては使われることなく、かろうじて同じギブソン系のハムバッカーを搭載したギターで我々のクラプトンに対する思いは一定満足させられることにはなったのだが、クリーム以後は周知のようにフェンダー系のギターにチェンジされていく。この変化は次ページの70年代のクラプトンを見ていただけばその必然性は理解してもらえるだろうが、70年代でも来日公演をはじめとするツアーやスタジオでもハムバッカーの音が欲しくなったときはギブソンのエクスプローラを使ったりもし、また気まぐれでレスポールを使ったこともあるようだ。

これは推測でしかないのだが、彼は決してレスポールが嫌いになったわけでもなく、ただ自身の音楽スタイルに応じてギターを選択しているだけであり、また後続のギタリスト達が頭を並べてレスポールを使い出したことによる反発、決定的にはジミー・ペイジがレスポールをトレード・マークにしたことで今さら自分がレスポールでもないだろうという気持ち、レスポールを使えばハードロック=クリームという図式にあてはめられるのが嫌だったのかもしれない。

70年代から80年代にかけてストラトをメインにして時には335やエクスプローラなどのハムバッカー・ギターも使ってきたクラプトンではあるが、ここ10年当たりのストラトに内蔵されたミッド・ブースト回路の音を聞くと明らかにストラト特有の音というより、ギブソン的なニュアンスを感じることが出きる。つまりはクリーム時代のSGの音であり、ある意味彼の嗜好が原点回帰しているとも言える。それもたどれば元々はレスポールの音だというわけだ。

こうしてクラプトンの60年代は終わりを告げた。彼とレスポールという取り合わせはまさにビートルズに継ぐ歴史の転換を促したがゆえに後にレスポールといえばジミー・ペイジという応えが返ってくることに我々はなんとも言いがたい複雑な心境に陥ってしまうのである。ペイジはクラプトンとのセッションでその魅惑的なトーンにとりつかれた訳だから。

※ボックス関連のレビューはこちら(まだ中と半端)

  

03/07/10