NANTUCKET SLEIGHRIDE
(to Owen Coffin)
Pappalardi-Collins
Who's Owen Coffin ?


 
1819年11月20日、ナンタケット島の捕鯨帆船エセックス号は南太平洋に向けて出航した。船は太平洋を巡航中、汐噴きを見つけると、直ちに一群のマッコウクジラを執拗に狩り立てた。彼等は、鯨の相当数に傷を負わせたが、突然巨大な鯨の強烈な反撃に遭い、エセックス号はものの十分もしない内に沈没してしまった。

海に放り出された乗組員たちは、命かながら三艘の救命ボートに乗り込んだ。チリまたはペルーを目指す2000マイルの長い漂流の旅が始まった。目と鼻の先にはマルケサス諸島があったが、当時そこは食人種が住む島として知られていたので上陸せず、一行にはペルー方面を目指す航路以外になかった。

一ヵ月後、幸運な事にデュシー島に立ち寄る事ができそこに一週間滞在した。乗務員のうち3名がこの島に残ることになった。この無人島で僅かばかりの飲料水と食料を得、3名を残して再び三艘のボートに乗り出航した。

1月12日、三艘の救命ボートは痛烈極まる嵐によって、別々に漂流することになった。

オーエン・チェイスのボートでは長い漂流の間に多くの乗組員が命を落とした。人々はデュシー島から調達した食料が尽きると、船底に付着した小さい蛤の卵や、トビウオを捕らえて飢えを凌いでいた。そしてついには、生き残るために自然死した人々の肉体を食せざるを得なくなってしまった。
長い過酷な漂流の末に、彼等のボートは幸運にも英国の帆船に救出されたが、生存者は衰弱著しく息も絶え絶えの状態であった。

一方、オーエン・コフィン(Owen Coffin)は彼の叔父であるキャプテン・ポラードと同じボートに乗っていた。そのボートでも1月14日までに食料と飲料水は尽きてしまった。そして、まず1名の黒人乗組員が、その後2名の黒人乗組員と一人の白人乗組員が飢餓、衰弱のため死亡した。そしてオーエン・コフィン等のボートでも同様に・・・

さらに自然死した人々の肉体が尽きてしまうと、他の人々を生かすための「犠牲者」を誰にするのかを「くじ引き」によって選出することに決めた。その結果18才の若者、オーエン・コフィンが「当たり」を引いてしまった。叔父のキャプテン・ポラードはコフィンの身代わりになろうと必死に説得したが、コフィンは「自分が犠牲になる」と主張した。そして死刑執行者もくじ引きで決められた。執行者に当たってしまった別の若者、チャールズもまた、自分の立場とコフィンの立場をなんとか交換しようとコフィンを説得したが、コフィンはそれも拒否した。そしてピストルの引き金が弾かれた。
その後オーエン・コフィンの肉体は仲間を10日間生き延びさせるための食糧となった。キャプテン・ポラードは甥であるコフィンの肉体を食すことを頑なに拒み続けた。その後さらにもう一人の男が犠牲となり、キャプテン・ポラードとチャールズの二人は彼の肉体によって生き延び、その後ナンタケットの捕鯨船に救出された。

結局、捕鯨船エセックスの一艘の救命ボートは発見されず、最終的に乗務員20名のうち8名が奇跡的に救助された。

故郷に帰ったポラード・キャプテンはその後一度航海に出たが、それは乗務員全員を失ってしまうという悲惨な難破事故に終わってしまった。以後彼は決して再び海に出る事はなかった。
チェイスは、捕鯨船の一等航海士となり、華々しい航海を続けた。そして彼とポラード・キャプテンはナンタケット島で歳老いるまで生き続けたという。

 
 


「ナンタケット・スレイライド:和訳」へワープ!!
 


参考資料: 
http//
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白鯨:メルヴィル著

Special thanks to Mr.Taunta & Ms.Uckey.

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