結束−琴音−
葵ちゃんが学校を休んでから、一週間が経ちました。今日までずっと、どうやって葵ちゃんを慰めて
あげればいいのか、そればかり考えていました。言葉だけなら誰にでも言えます。でも私は、私にしか
出来ないことを葵ちゃんにしてあげたいと思っていました。葵ちゃんが助けを求めていることは、誰より
私がよく知っていたからです。
一度は彼女を疑ったこともありましたが、坂下さんと話をしたことで自信がつきました。
坂下さんも・・・葵ちゃんのことが誰よりも心配だったのです。
『あの娘は思っているほど強くはないのよ・・・』
私は坂下さんが言っていたことを思い出しました。もちろん格闘技が、ということではありません。
最初は高校生の、しかもあんな小柄な女の子が、毎日暗くなるまでサンドバックを殴ったり蹴ったり
しているなんて変わってる、と思いました。滅多にいない珍しい娘、とも思いました。
でも、ただそれだけなんです。格闘技をやっているだけで、葵ちゃんは普通の女の子でした。
日頃、体を鍛えている葵ちゃんは、本当は脆くて傷つきやすい心を持っているんだと、改めて思い知らさ
れたような気がします。
『身勝手なことばかり言って申し訳ないと思ってるわ。でも、あんな葵をこれ以上見たくないのよ。
私が言ったら・・・どうしてもきつく当たってしまうから・・・。原因の半分は私にあるものね・・・』
あの時の坂下さん、本当に寂しそうな顔してた・・・。何かしてあげたいのに、何もしてあげられない。
その気持ち・・・私にも解かります。私もそうでしたから。
私はいつのまにか、C組の担任の先生に葵ちゃんの様子を訊かなくなりました。何度尋ねても、風邪が
長引いている、としか答えてくれないからです。いくらなんでも、風邪をこじらせて一週間も休むなんて
ことはありえません。もし本当に病気なのだとしたら、恐らく気管支炎ぐらいになっていると思います。
それなら先生も教えてくれるはずです。
先生は・・・本当に葵ちゃんが風邪で休んでいると思っているのでしょうか。私には先生が葵ちゃんの
ために何か考えている、という風には見えませんでした。
午前の授業が終わり、私はすぐに食堂に行きました。教室にいても仕方ないし、なにより私はいつも
キツネうどんを食べることにしていました。
どんなに早く食堂にやって来ても、入り口には生徒が殺到し、空席も次々に埋まっていきます。
食券を買いキツネうどんを受け取ると、空いている中でも私が普段、よく座る席に向かいました。
何となくこの席にいるほうが落ち着くようで、食堂に来た時はいつもここに座っています。
それにしても、独りで食べることがこんなにも辛いものだとは思いませんでした。以前は感じなかったの
ですが、最近は食堂でとる食事も、ちっとも美味しくありません。
独りで食べているせいなのか、あれこれ考えながら食べているせいでしょうか、それは分かりません。
無理やり口に流し込むようにしてキツネうどんを食べていると、
「琴音ちゃん・・・」
と、すぐ横で私を呼ぶ声が聞こえました。私の隣りに座ったのは・・・、
「葵ちゃん・・・!?」
しばらく顔を見合わせたままお互い何も言えませんでした。この沈黙が堪えられないほど苦しく、私は、
「葵ちゃん、今日クラブ行く?」
と、一言だけ言いました。
もし、“行けない”と答えられたらどうしようかと思いましたが、葵ちゃんは、
「うん・・・」
と答えたきり、何も言いませんでした。
不思議なことに、あれほど沢山話したいことがあったのに、2人は最後まで黙ったままでした。
でも2人はお互いが隣りにいることを常に確かめ合っていたような気がします。
食堂を出る時もチャイムが鳴って教室に戻る時も、お互い何かを話そうとは思いませんでした。
でもそれが、放課後に全てを話すためのきっかけを自分で作っている事に後になって気が付きました。
放課後。今日は掃除もなく、HRが終わると、私はすぐにC組に・・・葵ちゃんを迎えに行きました。
葵ちゃんのほうも今日は掃除当番ではなかったようで、私を見つけるとすぐに教室を出てきました。
二人で神社までの道を歩いていると、葵ちゃんが休んでいた一週間が嘘のようにさえ思えてきます。
ほんの少しだけ私より下に見える葵ちゃんの眼は、以前と違い、輝いていました。
私たちはいつかのように境内に座りました。もともと今日から部活を始めるつもりはありませんでした。
お互いにゆっくり話す時間が必要でした。葵ちゃんも私と同じ考えだったようです。
「琴音ちゃん・・・私・・・」
葵ちゃんは、今朝早くに坂下さんに会ったそうで、その時に坂下さんから聞いた話を全て私に話してくれ
ました。私が坂下さんと話したことも、坂下さんがエクストリームに反対していないことも・・・。
「琴音ちゃん、本当にごめんね・・・私、今まで・・・」
言いながら葵ちゃんは泣き出してしまいました。悲痛な声をあげて泣く葵ちゃんに、私は最初どうすれば
いいか分かりませんでしたが、少しでもその痛みを和らげようと私はそっと葵ちゃんの頭を撫でました。
「葵ちゃんが元気になってよかった・・・」
作った言葉ではなくて、心から出た言葉でした。葵ちゃんに逢ったら一番に言おうとしていたことです。
「どうして私に相談してくれなかったの・・・?」
葵ちゃんを苦しめないように、私は出来るだけ優しく尋ねました。本音は独りで悩まないで、と怒りたい
ところでしたが、今の状況ではとても言えそうにありませんでした。
「私、恐かった・・・。独りで勝手に悩んで、自分でもどうしていいか分からなくなって・・・」
「葵ちゃんは独りじゃないよ」
“独り”という言葉に反応して、私の口調は少し強くなりました。
「最初は琴音ちゃんに話そうと思った。でも、迷惑かけたくなかったし・・・それに・・・」
「うん・・・」
「面倒くさい話して、琴音ちゃんにうっとうしがられるんじゃないかって考えたら・・・。私・・・
琴音ちゃんが離れていきそうで恐かった」
私を避けてはいなかったんだ・・・。それどころか私のことを考えて黙っていた、と言う葵ちゃん。
もっと早く・・・もっと早くそのことに・・・。
「そんなことないよ、葵ちゃん・・・。だって、葵ちゃんと友達になりたいって言ったのは私だよ・・・
迷惑だなんて思うわけないよ」
「ごめんね、琴音ちゃん!私・・・琴音ちゃんのこと疑ってた・・・」
私が葵ちゃんを抱きかかえると、私の胸の中で葵ちゃんは何度も何度も謝りました。
「ううん、謝らなくちゃいけないのは私のほう・・・」
そんな葵ちゃんを見ていると、私の眼にも涙が溜まってきました。
「どうして?琴音ちゃんは全然悪くないのに・・・」
「私も、葵ちゃんが私を避けてるって思ってたの。私が勝手にクラブの見学をしたり、勧誘を手伝ったり
することがかえって葵ちゃんの足を引っ張ってる気がして・・・」
それは何度も考えたことでした。クラブに参加するようになったといっても、何かするわけではなくて
ただ見学しているだけ。毎日お昼休みにクラブの勧誘をするときだって、自分なりに本を読んだりした
こともありましたが、エクストリームの知識がなく、ただ広告を配るだけ。何ひとつとして葵ちゃんを
応援していることにはなりませんでした。
「・・・・・・」
「私といるのが嫌になったのかなって。だから何も言ってくれないんだと思ってた・・・」
「そんな・・・」
私がそう言うと、葵ちゃんは泣きながら言いました。
「私、嬉しかった・・・。琴音ちゃんと友達になれたことも、クラブに来てくれたことも・・・。
すごく心強かった。今まで・・・ずっと独りだったから・・・」
独り・・・。言葉にしたら簡単なものなのに。それがどれだけ私を苦しめていたでしょうか。
「ごめんね、葵ちゃん!」
「ごめんね、琴音ちゃん!」
私たちは同時に叫んでいました。さっきようやく止まった涙が、また溢れ出てきました。
ぼんやりとした視界の中に、私と同じように涙を流す葵ちゃんが見えました。
結局、それぞれの思い違いが誤解を生んでしまったのです。たとえ友達であっても、その友達のことを
理解しているようで理解していない。それを気付かせてくれたのも友達ですが。
「葵ちゃん」
「なに?琴音ちゃん」
「もし何か困ったことがあって・・・それが独りで解決できないような悩みだったら・・・。その時は
絶対に私に話してね」
「琴音・・・ちゃん・・・」
「私なんかじゃたいして役に立てないかも知れない。でもどんなことでもいいから教えてほしいの。
少しでも葵ちゃんの力になりたいから・・・」
だってそれが友達だから・・・。友達が困っているのに見ているだけなんて出来ない。葵ちゃんに辛い
思いをさせなくない。それが理由でした。
「ありがとう・・・琴音ちゃん・・・」
葵ちゃんは一言だけそう言ったきり、俯いてしまいました。複雑そうな表情で・・・。
でも私には解かります。その一言だけでも葵ちゃんの想いは充分に伝わってきました。
今なら話してもいいかな。この際だから、私は思っていたこと、言おうとしていたことを全て話そう
と思いました。
「本当は葵ちゃんに会った頃から悩んでることは知ってたよ」
「ええっ・・・?」
信じられない、という顔で私を見る葵ちゃん。
「中庭でお話した時のこと、葵ちゃん、憶えてる?」
「うん、憶えてるよ」
いつも決まった時間に、クラブの事を熱心に説明していた葵ちゃん。最初は何の気なしに聞いていたけど
段々気になって声をかけたあの時が、葵ちゃんとの出会いでした。
いつもなら学食に行くところでしたが、あの時は偶然二人ともお弁当を持ってきていたので、中庭で食べ
ながら話をしようということになりました。
今こうして葵ちゃんと友達でいるのも、あれがきっかけでした。
「私が“格闘技やってて楽しいですか”って訊いたことは?」
「うん、全部憶えてるよ。あの時は格闘技とかに興味なさそうな人なのにってビックリしちゃった」
「葵ちゃん、その時“楽しい”って答えたよね」
「う、うん・・・」
「あの時の“楽しい”は本心じゃないってすぐ分かったの。だって葵ちゃん、あの頃からすごく苦しそう
な顔してた。クラブの時も・・・」
「クラブの時・・・?」
「うん。私が初めてクラブの見学に来た時も、葵ちゃん、すごく嬉しそうだった。でもやっぱり、心の
どこかで迷ってるような感じがしたの。練習も動きがおかしいってすぐ分かったよ」
「あ・・・」
葵ちゃんは小さく息を漏らしました。それでもあの時は、何となくそのことに気付きながらも、何もして
あげられませんでした。出来ることといったら、何かあったのかと尋ねるだけ。もしあの時に打ち明けら
れていたとしても、私には一体何ができたでしょうか。“頑張って”なんて気休めにもならない言葉を
かけたところで、葵ちゃんの不安は大きくなるばかりです。
と、突然葵ちゃんが飛びついてきました。眼に涙を一杯溜めて・・・。
私にしがみつく葵ちゃんの手をとると、その手は格闘技をやっているとは思えないほど細くて、小さな
ものでした。私よりも小さな体で、恐らく自分よりもずっと大きな人を相手に闘っている葵ちゃんを想像
すると、改めて葵ちゃんを尊敬しました。
そして・・・葵ちゃんと友達になれたことを誇りに思いました。
そうだ、私には友達がいるんだ・・・。いつも周りから避けられていて、何をするにも常に独りだった。
学校に来ても、家に帰っても、私はずっと孤独を感じていた・・・。それが当たり前だったから、私は
孤独なんてものは怖くはなかった・・・。自分は独りでいるべきなんだと思っていた・・・。
それが普通だと思っていたから・・・。
でも葵ちゃんに出会ってからの私は違った・・・。
葵ちゃんが学校を休んでいた時、私は独りでいることが怖かった。何も言ってくれない葵ちゃんを見て、
きっと私を避けているんだと疑った時、私は独りになることが怖かった。
「葵ちゃん」
私は友達の名前を呼びました。
「明日からまた一緒に頑張ろうね!」
私はもう独りじゃないんだ。
「うん!」
私はようやく、葵ちゃんに素直な私を見せることができました。
そうだよ、ふたりはずっと、いっしょだよ・・・。
後書き
ここまで来るのに相当かかってしまいましたね。年をまたいでしまいましたよ。
ともあれこれにて完結。言いたいことは大方、葵ちゃん編の方で喋りましたので、何も書くことが・・・
ないとかと言えば、そうでもないんですねぇ。
これを書いたのもやはり夜。スズメがちゅんちゅんと朝を告げる頃、今回で一番困ったのはサブタイトル
なのです。結局「結束」になりましたが、候補として「始まり」とか「運命の輪」とかがあったのです。
山場だから、最後に相応しいものにしようと消去法でいくと、「結束」になってしまったというわけです。
全体を通して、いまいち琴音ちゃんらしくないな、と思うところがあります。彼女のシンボルである
超能力を一度も使わなかったからです。予知も念力もない。その代わりに葵ちゃんと対比して、非常に
鋭い観察力というのを備えてみました。友達――葵ちゃん――の変化を他人とは思えないほど、敏感に
感じ取る。まるで超能力を使っているかのように・・・。
機会があればこの続きも書いてみたいなと思っております。(というより既にあらすじは出来上がって
います)が、とりあえず本業の執筆活動を優先ということで・・・。
余談ですが、本文最後の『そうだよ、〜』も葵ちゃん編同様に、同ビデオのあらすじ紹介文から引用して
います。
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