結束−葵−
翌朝。自分自身を奮い立たせるため、私はいつもより早くに登校しました。昨日、大丈夫だと言った
手前逃げ出すわけにもいかず、私は決心を固めて学校にやって来ました。といってもホームルームまで
30分以上もあり、その時間をどうすればいいか考えていました。
この時間なら、空手部は朝練をやっているかも知れません。恐らく好恵さんも朝練の指導をしているだろ
うと思い、道場へと向かいました。
思った通り、道場からは早朝にも関わらず部員の元気な掛け声が聞こえてきました。
中を覗くと、両腕を組んだ好恵さんがその様子を見ていました。この1週間で私が出した答えを好恵さん
に話すために、私は着替えもせずに道場に入りました。
私の姿を見るなり好恵さんは真っ直ぐにやって来ました。私が来るのを待っていたのでしょうか。
「好恵さん・・・おはようございます」
言葉を用意していなかったせいもあり、何と言い出していいか分からずとっさに出た言葉がこれでした。
「葵、久しぶりね」
相変わらず好恵さんはそっけない態度でしたが、その目は何となくいつもと違うような気がしました。
「好恵さん、実は私・・・」
言いかけた時、
「ちょっとこっちに来て」
と言われ、朝練をしている部員を置いて好恵さんは私を部室に連れて行きました。
部室に入るなり、好恵さんは呟くように私に言いました。
「本当はエクストリームを続けたいんでしょ?」
「えっ・・・?」
突然の言葉に驚きました。私が言おうとしていた事を先に好恵さんが言ったからですが、それ以上に
好恵さんの口からエクストリームを勧めるような言葉が出たことの方が意外でした。
「どうなの?」
答えを急かすように訊いてきました。さっきよりも低めの声でした。
「私は・・・私はやっぱりエクストリームを続けたいです」
「そう。良かったわ、あなたの口から直接聞けて」
「あの、どうしてですか?いつもの好恵さんなら・・・」
言いかけた私を制止するように、
「私ははじめから葵を空手に引き戻そうとは思ってなかったわ」
静かに目を閉じながら好恵さんは話し出しました。
「葵がエクストリームを続けたいなら続ければいい。空手に戻りたいなら戻ればいい。ただそれだけよ」
私は黙って聞いていました。好恵さんがいつもと違う・・・。いつもの好恵さんなら絶対にこんな事は
言いません。私が休んでいる間に何かあったのでしょうか。
「私は葵のやりたいことをやらせてあげたい。誰にも葵のやりたい事を邪魔する権利なんてないものね」
そこで一呼吸おいて、
「でも今までの葵はずっと中途半端なままだったわ。あなたがあの時、空手に戻りたいって言った時は
それが葵の望むことならそれでも構わないって思ったわ」
あの時・・・。私は空手に戻ることを好恵さんに言った頃の自分を思い出しました。あの時も・・・。
「私は葵がいい加減な気持ちで取り組むことが許せなかった。それがエクストリームでも空手でもね。
だからつい厳しい事も言ってしまったのよ」
それまで閉じていた目を開いて、好恵さんは今まで聞いたことのないような優しい声で言いました。
「あなた・・・いい友達がいるのね・・・」
私は何も答えられませんでした。急に話を変えられたからではなく、“友達”という言葉が今の自分に
重くのしかかっている気がしたからです。
「姫川さんって娘がね、私のところに来たのよ」
その名前に、私は異常なほど反応していました。自分の身体が震えているのが分かりました。
「その娘、あの時の私たちのやりとりを聞いてたらしいのよ。松原さんと何かあったんですか、って
わざわざ道場まで来てね。あなたには関係のないことだって強く突っぱねたわ」
琴音ちゃんが・・・。琴音ちゃんが私のために・・・?
「でもあの娘、よっぽど葵のことが心配だったみたいね。関係ないことないって逆に怒鳴られたわ」
頷くように好恵さんは続けました。
「あんな娘、初めてよ。大抵の子は私のことを恐がるのに。でも、あの娘はね・・・」
好恵さんは私の相づちを求めていないらしく、話を続けました。
「次の日も来たのよ。最近の葵に元気がない理由を教えてほしいってね」
「琴音ちゃんが・・・」
知らず、私は琴音ちゃんの名前を呟いていました。
私なんかのために琴音ちゃんがそこまでしてくれた・・・。私は言葉では言い表せないほど嬉しくて、
同時にそれと同じくらいに申し訳なさも感じていました。
「さっき私が言ったことはね、全部あの娘に話したことなのよ・・・」
そして、すこし間をおいて、
「葵」
「はい・・・」
「続けなさい、エクストリーム。あの娘と一緒にね・・・」
それだけ言って、好恵さんは部室を出て行きました。
「ありがとうございます!」
私は道場に向かう好恵さんに心から感謝しました。
中学校でもそうでしたが、さすがに一週間も休んでしまうと授業には全くついていけませんでした。
隣りの席の子に休んでいる間のノートを見せてもらいましたが、内容は数ページにもわたり、この分量が
科目分あるのかと思うと、写す前から気が引けてきました。
でもここで遅れを取り戻さないと後で取り返しのつかないことになる事は目に見えていたので、午前中の
授業は最後まで気が抜けませんでした。
お昼休み。授業が終わるとほぼ同時に、私はB組に向かいました。早く琴音ちゃんに逢いたい。
逢っていろいろ話がしたい。お昼休みなんかじゃとても話し足りないことだけど・・・。
教室に入ると何人かの生徒がいるだけで、肝心の琴音ちゃんはいませんでした。すでに食堂に行ったんだ
と気付き、早足で食堂に行きました。
相変わらず食堂内は学年関係なく多くの生徒がひしめいていました。幸い周りを見渡すと、空席が多く
テーブルにはかなり余裕がありました。
私はいつも注文するBランチを受け取り、琴音ちゃんを探しました。少し遠くに目をやると、静かに
キツネうどんを食べている琴音ちゃんが映りました。これまで同好会の勧誘以外に積極的に人に近づこう
とはしなかった私が、いま友達を求めている。私は自分で自分が信じられませんでした。
「琴音ちゃん・・・」
私が呼びながら隣りに座ると、琴音ちゃんは驚いた顔で私を見ました。
「葵ちゃん・・・!?」
しばらく顔を見合わせたままお互い何も言えませんでした。その沈黙を破ったのは琴音ちゃんでした。
「葵ちゃん、今日クラブ行く?」
その声は何かを必死にこらえているようでした。私は一言だけ、
「うん・・・」
と答えたきり、何も言いませんでした。
不思議なことに、あれほど沢山話したいことがあったのに、2人は最後まで黙ったままでした。
でも2人はお互いが隣りにいることを常に確かめ合っていたような気がします。
食堂を出る時もチャイムが鳴って教室に戻る時も、お互い何かを話そうとは思いませんでした。
でもそれが、放課後に全てを話すためのきっかけを自分で作っている事に後になって気が付きました。
そして放課後。今日は掃除もなく、HRが終わるとすぐに琴音ちゃんが迎えに来てくれました。
私たちは学校を出て、まっすぐに神社に向かいました。さすがに一週間経っただけでは周りが変わったと
いう気はしませんでしたが、自分の心の変化からでしょうか、神社も木々も以前とは違って見えました。
私たちはいつかのように境内に座りました。今日から早速活動を始めようとは思っていなかったし、
何より今までのことを全て謝りたいと思っていたので、ゆっくり話せる時間が必要でした。
「琴音ちゃん・・・私・・・」
私は今朝、好恵さんから聞いたことを琴音ちゃんに話しました。琴音ちゃんが私のためにしてくれた事も
好恵さんが私のために言ってくれた事も、何もかも全てを。
「琴音ちゃん、本当にごめんね・・・私、今まで・・・」
思わず泣き出してしまった私の頭を琴音ちゃんはやさしく撫でてくれました。
「葵ちゃんが元気になってよかった・・・」
頭の上で琴音ちゃんは静かに言いました。
「どうして私に相談してくれなかったの・・・?」
私を責めてはいませんでした。その声は温かくてまるで私を包み込むようでした。
「私、恐かった・・・。独りで勝手に悩んで、自分でもどうしていいか分からなくなって・・・」
「葵ちゃんは独りじゃないよ」
今度はさっきよりもすこし強い口調でした。怒っているようにも聞こえました。
「最初は琴音ちゃんに話そうと思った。でも、迷惑かけたくなかったし・・・それに・・・」
「うん・・・」
「面倒くさい話して、琴音ちゃんにうっとうしがられるんじゃないかって考えたら・・・。私・・・
琴音ちゃんが離れていきそうで恐かった」
「そんなことないよ、葵ちゃん・・・。だって、葵ちゃんと友達になりたいって言ったのは私だよ・・・
迷惑だなんて思うわけないよ」
「ごめんね、琴音ちゃん!私・・・琴音ちゃんのこと疑ってた・・・」
私を抱きかかえる琴音ちゃんに、私は何度も何度も謝りました。
「ううん、謝らなくちゃいけないのは私のほう・・・」
そう言って、今度は琴音ちゃんが涙を流しました。
「どうして?琴音ちゃんは全然悪くないのに・・・」
「私も、葵ちゃんが私を避けてるって思ってたの。私が勝手にクラブの見学をしたり、勧誘を手伝ったり
することがかえって葵ちゃんの足を引っ張ってる気がして・・・」
「・・・・・・」
「私といるのが嫌になったのかなって。だから何も言ってくれないんだと思ってた・・・」
「そんな・・・」
言いかけて私は止めました。琴音ちゃんがそういう風に思っていたのは全部私のせいなんだ。
私が独りで悩みこんで、一番私のことを心配してくれる友達に打ち明けなかったから・・・。
「私、嬉しかった・・・。琴音ちゃんと友達になれたことも、クラブに来てくれたことも・・・。
すごく心強かった。今まで・・・ずっと独りだったから・・・」
独り・・・。それがどれだけ私を苦しめていたでしょうか。
「ごめんね、葵ちゃん!」
「ごめんね、琴音ちゃん!」
私たちは同時に叫んでいました。さっきようやく止まった涙が、また溢れ出てきました。
ぼんやりとした視界の中に、私と同じように涙を流す琴音ちゃんが見えました。
結局、それぞれの思い違いが誤解を生んでしまったのです。たとえ友達であっても、その友達のことを
理解しているようで理解していない。それを気付かせてくれたのも友達ですが。
「葵ちゃん」
「なに?琴音ちゃん」
無意識に私は名前を呼んでいました。改めて琴音ちゃんの存在を確かめていたからかも知れません。
「もし何か困ったことがあって・・・それが独りで解決できないような悩みだったら・・・。その時は
絶対に私に話してね」
「琴音・・・ちゃん・・・」
「私なんかじゃたいして役に立てないかも知れない。でもどんなことでもいいから教えてほしいの。
少しでも葵ちゃんの力になりたいから・・・」
その気持ち・・・いえ、その言葉だけで充分でした。
友達という存在がこんなにも頼れるものだということを、私は今まで知りませんでした。
「ありがとう・・・琴音ちゃん・・・」
その一言だけしか言うことが出来ませんでした。私自身が感じた嬉しさと、琴音ちゃんに対する感謝を
どう表現したらいいのか分かりません。
あ・・・。そんな事を考えていると、自然と目に涙が溜まってきました。私ってこんなに泣きやすかった
のかな・・・。格闘技やってる子がしょっちゅう泣いてたらおかしいよね。
何とか涙を堪えようと、しばらく黙ったままいると、
「本当は葵ちゃんに会った頃から悩んでることは知ってたよ」
「ええっ・・・?」
一体いつ頃から気付いていたのでしょうか。私の疑問に応えるように琴音ちゃんは言いました。
「中庭でお話した時のこと、葵ちゃん、憶えてる?」
「うん、憶えてるよ」
忘れるはずがありません。クラブの勧誘を最後まで聞いてくれる人がいなくて、誰もいなくなった時、
話しかけてくれたのが琴音ちゃんでした。いつもなら学食に行くところでしたが、あの時は偶然二人とも
お弁当を持ってきていたので、中庭で食べながら話をしようということになりました。
思えば琴音ちゃんと知り合えたのも、あれがきっかけでした。
「私が“格闘技やってて楽しいですか”って訊いたことは?」
「うん、全部憶えてるよ。あの時は格闘技とかに興味なさそうな人なのにってビックリしちゃった」
「葵ちゃん、その時“楽しい”って答えたよね」
「う、うん・・・」
「あの時の“楽しい”は本心じゃないってすぐ分かったの。だって葵ちゃん、あの頃からすごく苦しそう
な顔してた。クラブの時も・・・」
「クラブの時・・・?」
「うん。私が初めてクラブの見学に来た時も、葵ちゃん、すごく嬉しそうだった。でもやっぱり、心の
どこかで迷ってるような感じがしたの。練習も動きがおかしいってすぐ分かったよ」
「あ・・・」
知ってたんだ・・・。ずっと前から・・・何もかも・・・。
堪えきれず、私は琴音ちゃんに飛びつきました。
ずっとずっと独りで、今まで何かをする時、誰にも頼らずにいつも自分だけの力で切り抜けてきた。
誰かに迷惑をかけちゃいけない。そう考えて、何でも独りでするようになった。
でもそうじゃなかった・・・。私ひとりの力じゃどうにもならなくなった時、私を見てくれている人が
いた。ずっと追いかけて来た夢を諦めそうになった時、弱気になった私を元気づけてくれる人がいた。
私がひとりで抱え込んだ悩みを、一緒に解決してくれる人がいた・・・。
高校に入学して、クラブを独りでやっている時、私はそれほど孤独を感じなかった。勧誘が終わって、
独りで昼食を食べている時、私はそれほど孤独を感じなかった。
それが当たり前だと思っていたから・・・。
でも琴音ちゃんに出会ってからの私は違った・・・。
学校を休んで独りで部屋で寝ていた時、私は独りでいることが怖かった。神社で待っていた琴音ちゃんを
裏切り、もう友達でいられないと思った時、私は独りになることが怖かった。
「葵ちゃん」
友達が私の名前を呼びました。
「明日からまた一緒に頑張ろうね!」
私はもう独りじゃないんだ。
「うん!」
私はようやく、琴音ちゃんに素直な私を見せることができました。
ふたりは、ずっと、ずっと、いっしょだよね!
後書き
という具合で完結いたしました。いやぁ、ハッピーエンドでよかったですね。もしあのまま葵ちゃんが
空手部に入っていたら、お堂の下にあるサンドバックはどうなるんだ、ということになりますからね。
それにしても、坂下さんは優しくしすぎたかも知れません。劇中ではもっと厳しいお方ですから、せめて
今回くらいは理解ある空手部主将にしたのですが、いかがなものでしょうか。
全話に共通して難しいのは、やはり2人の話し方です。劇中の2人は主人公が先輩にあたるので、常に
敬語で話しますが、ここでは同じ一年生同士。まさか志保のように軽い喋り方にするわけにもいかず。
まぁ、このあたりはほとんど想像ですね。
最後なので場を盛り上げようとしたら、葵ちゃんを何度も泣かせてしまっていました。それを優しく
慰める琴音ちゃん、というのも表現したかったのですが・・・。文章が段々と過激になっているのは、
これを書いているのが真夜中だからです。クライマックスはやはり少々感情を高ぶらせないといいのが
書けません。昼より夜!(なんか誤解されそうな表現ですが・・・)
ところで本文最後の『二人は、ずっと、ずっと、いっしょだよね!』というのは、某アニメのビデオに
あったキャッチフレーズをそのまま使っています。さて、一体何のアニメでしょうか。
それでは最後の後書き、琴音ちゃん編に続きます。
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