和歌山県・くまの
         
(690年)紀伊国に(持統天皇が)いでま(幸)せる時、川島皇子のよみませる歌(みうた)。
「白波の 浜松が枝の 手向(たむけ)くさ 幾代までにか 年の経ぬらむ」
(34番・川島皇子の歌、一説では山上臣憶良の作)
白波の寄せる浜の 浜松が枝に残る
手向(たむけ)の ヌサ(御幣)のあとは
結ばれてから どのくらい年月が経っているのか
境の木に ヌサ(御幣)を手向(たむけ)る慣らいは
ずいぶん 昔からあるものらしい
☆     ☆
柿本朝臣人麻呂が歌四首
「み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思(も)へど 直(ただ)に逢はぬかも」
(496番・柿本人麻呂の歌)
み熊野の 浦なる浜木綿(はまゆう)の葉は 幾重にも重なって
そんな風に 心ではあなたのことを 
幾重にも重なり思っていますのに
じかに逢うことのできない この哀れさ 寂しさ
         
「いにしへに ありけむ人も 吾(あ)がごとか 妹に恋ひつつ 寝(いね)かてずけむ」
(497番・柿本人麻呂の歌)
いにしえの人も わたしのように
妻を恋いつつ 眠れぬ夜を過ごしたのだろうか
ここ 熊野では
           
「今のみの わざにはあらず いにしへの 人ぞまさりて 哭(ね)にさへ泣きし」
(498番・柿本人麻呂の歌)
恋に泣くのは 今の世のことだけではありますまい
昔の人は 声にだして悶え泣いたというではないか
恋に泣くのは われのみにあらず
         
「百重(ももへ)にも 来及(きし)かぬかもと 思へかも 君が使の 見れど飽かざらむ」
(499番・柿本人麻呂の歌)
何百通も 届いてほしいと思うからか
あなたの便りを 繰り返して読んでいます
何度読んでも 飽きはしません
何度も繰り返し 読んでいます
☆     ☆
「我が舟は 沖ゆな離(さか)り 迎へ舟 片待ちがてり 浦ゆ榜ぎ逢はむ」
(1200番・詠み人不詳)
われらの舟よ 沖へ漕ぎ出さないでおくれ
迎えにくる舟を 待ちながら
岸辺を漕いで 迎え舟に出逢おうからに
☆     ☆
「大海の水底響(とよ)み 立つ波の 寄せむと思(も)へる 磯のさやけさ」
(1201番・詠み人不詳)
大海原の水底まで とどろかして立つ波の
打ち寄せる この磯のさやけさよ
☆     ☆
「荒磯ゆも まして思へや 玉之浦 離(さか)る小島の 夢にし見ゆる」
(1202番・詠み人不詳)
荒磯の景色よりも もっと心に焼き付いて
すばらしいと 思っているからか
玉之浦の 離れ小島が 夢にまで見える
☆     ☆
「磯の上(へ)に 爪木(つまき)折り焚き 汝(な)が為と 吾(あ)が潜(かづ)き来し 沖つ白玉」
(1203番・詠み人不詳)
磯の上で柴を折り焚いて 暖をとっては
わたしが海に潜って おまえのためにとってきた真珠だよ
これは
☆     ☆
「浜清み 磯に吾(あ)が居れば 見む人は 海人とか見らむ 釣もせなくに」
(1204番・詠み人不詳)
浜が清いので じっと磯に佇む
佇むわれを人が見ると 海人(あま)かと思うだろう
釣糸も垂れずに じっと佇むわれを 人は
☆     ☆
「沖つ楫 やくやくしぶを みまく欲り 吾(あ)がする里の 隠らく惜しも」
(1205番・詠み人不詳)
沖を漕ぐ水主(かこ)の櫂は 鈍ってきた
それでも 見たいと願っている里は
隠れゆく 早くも波間に隠れゆく
☆     ☆
「沖つ波 辺つ藻巻き持ち 寄せくとも 君にまされる 玉寄せめやも」
(1206番・詠み人不詳)
沖つ波は 岸辺の藻を巻きこんで
うち寄せて こようとも
あなたに優る 真珠を運んで来はしない
あなたに優る宝は この世にありはしない
☆     ☆
「三輪(みわ)の崎 荒磯も見えず 波立ちぬ いづくゆ行かむ 避道(よきぢ)はなしに」
(1206番・詠み人不詳)
新宮の三輪(みわ)の崎では 荒磯もかぶるほど
波が高く寄せてきた どこを通っていったらいいのやら
脇道もないのに 磯道を閉ざして高波押し寄せる
この三輪(みわ)の崎よ 荒ぶる神います岬よ
☆     ☆
崗本の宮に天の下しろしめしし(斉明)天皇の、紀伊国(きのくに)にいでま(幸)せる時の歌二首(ふたつ)。
「妹がため 吾(あ)が玉拾(ひり)ふ 沖辺なる 玉寄せ持ち来(こ) 沖つ白波」
(1665番・詠み人不詳)
家で待つ妻へのみやげに 玉を拾おう
沖の海底ふかく ひそんでいる真珠貝を
岸に打ち寄せておくれ 
情けあらば 沖の白波よ
☆     ☆
「朝霧に 濡れにし衣 干さずして 独りか君が 山道(やまぢ)越ゆらむ」
(1666番・詠み人不詳)
朝霧に濡れそぼった着物を 干してくれる人もなく
独りであなたは とぼとぼと
山道(やまじ)を 越えておられるのでしょう
ひとりで とぼとぼと
☆     ☆
紀伊(き)国にてよめる歌二首
「吾(あ)が恋ふる 妹は逢はさず 玉つ浦に 衣片敷き 独りかも寝む」
(1692番・詠み人不詳)
われが恋う 妻に逢えず
玉の浦で 夜着の衣を敷いて
今夜も 独り寝することになるのか
☆     ☆
「玉くしげ 明けまく惜しき あたら夜を 衣手離(か)れて 独りかも寝む」
(1693番・詠み人不詳)
あの子と一緒なら 夜は明けてほしくない
せっかくの夜を 共寝の袖から離れて
独り寝る夜は 長々しい
独り寝る夜の 長くまがまがしいことよ
☆     ☆
「うらみこぐ(浦廻榜ぐ) 熊野舟つき めづらしく 懸けて思はぬ 月も日もなし」
(3172番・詠み人不詳)
浦近くを漕いでゆく 熊野舟の
姿形は愛(め)ずらしいが
いつみても愛(め)ずらしい 妻のことを
心に懸けて思わぬ 月日はない
この熊野の果てにいても 思わぬ日はない